*55 福音書に書かれていないこと(その1)

福音書を読んでいて、どうにも気になるのが、イエスが生まれて成長する過程のことだ。つまり、どうして彼はヨルダン川のヨハネのところに行って洗礼を受け、みずからも「神の国」への道をのべ伝えようと思い立ったのか、それについては四つの福音書は、すべて口をつぐんでいる。もっとも、どの福音書も、洗礼者ヨハネが先に登場し、わたしのあとからわたしよりも優れた人がやってきて精霊で洗礼を授ける、わたしはその方の履き物の紐を解く値打ちもない、と口をそろえる。ヨハネは自分の伝道を受け継ぐかたちでイエスが登場してくることを知っていた。神のお告げということだろう。でも、なぜイエスがヨルダン川のヨハネのところに行って洗礼を受ける決心をしたのか、その動機については何も書かれていない。ヨハネが呼んだとも書かれていない。神の御心がそうさせた、ということなのか。

その一方で、イエスが生まれた過程についてはやたらに詳しく書かれている。とくにマタイとルカが詳しい。逆にマルコとヨハネではまったく何も記されていない。マルコでは「ナザレのイエス」とのみ記されている。これをふつうに読めば、「ナザレで生まれ育ったイエス」と受け取る。でも、マタイもルカも、それが気に入らなかったらしい。われわれの神が、どこの馬の骨かもわからない、では困ると言わんばかりに。

マタイは長たらしい系図から、その福音書を書きはじめる。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」それがマタイによる福音書の冒頭の一行だ。そしてえんえんと、アブラハムからダビデへ、ダビデからマリア、イエスへと人の名を連ねている。この系図が何に基づいているのか、それについての言及はないけれども。

ルカにも系図は出てくるが、同じひとの系図とは思えないほどマタイとは異なっているうえに、イエスがヨハネから洗礼を受ける場面のあとに置かれている。その前にイエス誕生の経緯が語られるのだが、それはどの福音書よりも詳細に、念入りに記されている。まずは洗礼者ヨハネの誕生が予告される。大天使ガブリエルが老祭司ザカリアの前に立ち、生涯不妊だったエリザベトが男の子を産むと告げ、その子をヨハネと名づけよと命じる。はたしてエリザベトは身ごもり、五ヵ月間身を隠した。六ヵ月目に大天使ガブリエルは、ガリラヤのナザレに赴き、ダビデ家のヨセフの許嫁マリアのもとを訪れた。「おまえは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名づけよ」。まだ結婚していないので、驚くマリアに告げる。「驚くことはない。おまえの親類のエリザベトも老いて身ごもり、すでに六ヵ月になっている。神にできないことはない」。マリアはこのお告げを確かめるべく、ユダの町のザカリアの家に行き、エリザベトに挨拶をした。するとザカリアの胎内の子が踊ったので、彼女は精霊に満たされてマリアに応えた。「あなたは祝福された方、胎内の子も祝福されている」。こうしてエリザベトはのちに洗礼者ヨハネとなる男の子を産んだ。

さて、イエスそのひとの誕生の過程はもっと込み入っている。ローマ皇帝アウグストゥスが全領土の住民に向けて住民登録のお触れを出した。ガリラヤの地もローマの支配下にあったので、人々はみな登録のために自分の祖先の町へと旅立つことになった。ヨセフはダビデの血を引く家の出だったので、身ごもっていたマリアも一緒に連れて、ガリラヤの町ナザレから、ダビデの町であるユダヤのベツレヘムへと向かった。ところがベツレヘムに入ると、マリアが産気づいた。宿には彼らの泊まる場所がなかったので、厩で出産し、産まれた子を布にくるんで飼い葉桶のなかに寝せた。乳飲み子の清めの期間が過ぎるとエルサレムに上って、律法の定めどおり祭壇に捧げて神の祝福を授かり、ようやく親子はガリラヤのナザレに戻ってきたのだった。

妊婦を連れ、あるいは乳飲み子を連れての、この旅路はさぞたいへんだったろうと想像されるけれども、この行程に不自然なところはない。系図を後回しにして、ここではさりげなく、マリアの夫のヨセフがダビデの家系に属していると記しているところも自然に読める。

マタイには住民登録の記述はない。ストレートに「イエスはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムに生まれた」と書いてある。ただし、そのあとが複雑である。占星術師が救世主がベツレヘムに生まれると予言するのを聞いたヘロデ王は、そうなればローマ皇帝の傀儡に過ぎないユダヤの王という自分の地位が危ないと感じ、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の子を皆殺しにしてしまったのである。むろんヨセフとマリアのもとには天使が現れ、ヘロデがその子を探し出して殺そうとしている、エジプトに逃げよと告げたので、その夜のうちにベツレヘムを去っていた。そしてヘロデが死ぬまでエジプトに留まっていた。ヘロデが死んだので、親子はイスラエルの地に戻ろうとしたが、その子アルケラオが王位を継いでいると聞いて、ベツレヘムに帰るのは躊躇した。そのときガリラヤのナザレに行けというお告げがあった。こうしてイエスは「ナザレのイエス」と呼ばれることになったというのである。

どことなく不自然である。エジプトまで逃げたのかという驚き、そして帰ってきたのはいいけれど、夢のお告げがあって、故郷のベツレヘムではなく、ガリラヤという辺境(と言っていいのかどうかわからないけれど)の小さな町ナザレに住みついたというのが、なんとなく取って付けたような感じがする。

そんなことを言い出せば、老いてから懐妊したザカリアの妻エリザベトにしても、まだ許嫁だった時期に「精霊」によって懐妊したマリアのくだりにしても、不自然というより超自然の現象に属することを記している福音書そのものを疑うことになる。

二千年も昔に書かれた宗教書を現代の眼で疑ってみても意味はない。合理主義の眼でもなく、信仰の眼でもなく、まっすぐに読んでみると、そこには書かれたもの(テクスト)と書いた人(福音書記者)の影だけが浮かび上がってくる。

影と書いたのは、四人の福音書記者たちは名前こそ残っているものの、彼らが何者なのかほどんどわかっていないからだ。調べてみても、初期の、まだ教団の形も教義も流動的だった時代の、ある特定のグループ(派閥)に属していたのではないか、その程度のことしか想像できない。

しかし、テクストは語ってくれる。読めば読むほど、この四つの福音書は個性的に書かれていると感じられてくる。共通した部分があればあるほど、差異が際立ってくる。

四福音書のうち、最初に書かれたと言われているマルコ福音書はこのなかでは一番短いけれど、切れ味のするどい匕首のようだと思うようになったのは最近のことだ。

最初に聖書を手にして読んだのは十代の終わりだった。もちろん新約聖書を開いたときに最初に出てくる「マタイによる福音書」から読んだ。ただもう圧倒された。手に汗を握って読んだ。どんな本、どんな小説、どんな哲学書よりも、迫力があった。けれど信仰に向かおうとしたことは一度もない。

しかし、折に触れて、この本のせいで人生を間違えたのだろうなと思うことはある。そんなことを思ったところで時すでに遅し、人生をやり直すことはできない。

マルコの福音書は、文字どおり単刀直入である。

イエス・キリストの福音の初め。

この第一行からいきなり本題に入る。イザヤの預言どおり、荒れ野にヨハネが現れて、ヨルダン川で人々に洗礼を授けている場面から始まる。ヨハネは毛皮の衣をまとい、腰には革の帯を締めている。食べ物はいなごと野の蜜。まるで原始の生活にもどったかのようだ。そこに忽然とイエスと名乗る男が現れる。そして、ヨハネから洗礼を受ける。それが順序であるかのように。そしてイエスも荒れ野に出る。四十日間荒れ野にとどまり、試練を受け、悪魔からの誘いをはねつける。

ヨハネが捕らえられ、時は満ちたと感じたイエスは、自分の生まれ育ったガリラヤへと向かう。

若いときにこの冒頭を読んだときには、もの足らないと感じた。とりわけマタイを読んだあとでは、すかすかで、何か粗っぽい感じ、場合によっては幼い感じさえした。

マルコのギリシア語は拙いのかもしれない。翻訳で読むかぎり、そのあたりのことはわからない。わからなくともいい。何度も読んでいるうちに、何かが伝わってくる。読書百遍、意おのずから通ずという。言霊のようなもの。著者の思いのエッセンスのようなもの。

とはいえ、この福音書を読むという行為には、永遠に違和感が伴う。いきなりヨハネの洗礼シーンがあり、そこに颯爽と(?)イエスが登場する。それはいい。マルコは余計なことを書かない。マタイやルカのように、イエスの生い立ちについては何も触れていない。イエスが布教するようになったとき、人々に説いた「福音」(よい知らせ)とはどういうものだったのか。彼はそれをどのように伝えたのか。生い立ちなどどうでもいい。イエスは生い立ちを捨てたのだから。マルコは全篇を通じて、そう語りかけてくる。

けれども、何がきっかけで、何が動機で、彼は生い立ちを捨て、家族を捨て、ヨハネのいるヨルダン川の岸辺に向かったのか。ヨハネに洗礼を受ける前に、彼は決断している。覚悟している。ルビコン川を渡ったカエサルのように。

そして、四十日間の断食を経て、ヨハネが捕らえられ、時は満ちたと感じる。そしてガリラヤという自分の生まれた風景のなかで、彼は「福音」を伝えはじめる。その「福音」はどこから来たのか。ヨハネによる洗礼のなかからなのか。荒れ野の四十日間のなかからなのか。それとも、それよりもはるか以前に彼の心に芽生えた何かなのか。

マルコは空白に満ちている。

あるいは、唐突というべきなのかもしれない。

真新しい世界が次から次へと開かれていく。しかも、唐突に。

彼はガリラヤ湖のほとりで、宣教を開始する。湖で網を打っている漁師を見て、いきなり声をかける。「人間をとる漁師にしてやろう」。彼はこの四人の漁師になんらかの資質を見たのではない。網を打つ漁師の姿が眼に入った。次の瞬間にはもう声をかけていた。おそらく考えたり、躊躇したり、迷ったりはしていない。

そう、誰でもよかったのだ。自分の弟子に相応しい聡明そうな青年を選んだわけではないのだ。湖のほとりを歩いているところだったから、漁師だったにすぎない。そのとき麦畑のそばを歩いていたのなら、農夫だったろう。彼は選ばない。愛されたひとではあったかもしれないが、選ばれたひとではなかった。

だから彼はいたるところで、ぎくしゃくする。ノッキングのような、奇妙な反応を示す。よせばいいのに、生まれ育ったナザレにまで足を伸ばし、会堂で教えはじめる。すると地元の人々はいぶかる。「この男はいったいどこからこんな知恵を仕入れてきたのだろう。そもそもこいつは大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹はここの住人ではないか」。そこでイエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族のあいだだけである」と答える。ナザレでは実際、ごくわずかな数の病人に触れて癒しただけで、特段奇蹟のようなことは起こせなかったとマルコは記す。

このくだりを読む読者は誰もが思うだろう。わかっているのなら、なぜナザレに足を踏み入れた、敬遠すればよかったじゃないか。魔が差したか。心のゆるみか。それともやはり生まれ育った町を一目見ておきたかったか。いずれエルサレムの都に上り、天に召されることを知っていたから?

いやいや、こういう箇所では、イエスの思考や感情を追わないほうがいい。それは神学に至る道であっても、読書のたどる道ではないから。マルコがこう書いているということのほうがずっと大事なのだ。なぜならば、ルカはこのようには書いていないから。彼は会堂で預言者イザヤの巻物を広げ、読みあげる。人々はイエスを褒め、その口から出る恵み深い言葉に感銘を受けたが、驚きもした。なぜならば、目の前にいる人物がヨセフの子であることは誰もが知っていることであったから。それを察したイエスは「預言者は故郷では容れられない。預言者は故郷に災いが起こっても何もできない」とうそぶく。すると人々は総立ちになって憤慨し、イエスを町の外に追い出し崖から突き落とそうとした。イエスはそれをかわして立ち去った。

ルカはそう書いた。ルカはイエスにイザヤ書を開けさせ、イザヤ書の預言が成就したことを強調し、イエスのことを「ヨセフの子」と書いて、大工だとも兄弟姉妹がここに住んでいるとも書いていない。マルコは「マリアの息子」と書いた。ヨセフの名はない。これではマリアの私生児だと言っているのと同じではないか。

憤慨したのはルカであったかもしれない。こんなふうに神の出自を書くとは冒瀆であると。そうとは思わずマルコは書いたのか。いや、そうではないだろう。マルコはイエスという男が何者であったか、はっきりと知っていた。生業は大工であった。マリアという母と、兄弟姉妹がいた。マルコはこんな場面も描いている。

大勢の人々がイエスを取り巻いて座っている。たとえ話を持ち出して、神の国のなんたるかを説明しようとしていたのかもしれないし、あるいはわずかな食べ物を囲んで宴をひらいていたのかもしれない。そういったことは記されていないのだが、とにかくそこに「母と兄弟」が迎えにやってきた。そのことを知らされたイエスはこう答える。「わたしの兄弟、わたしの母とは誰のことか」そして周囲に座っている人々を見回して言う。「ここにいるのがわたしの母、わたしの兄弟である。神の意志をおこなうものこそ、わたしの兄弟、わたしの母なのだ」。

明らかに彼は家族を拒否している。ナザレでひどい目に遭っているから、その腹いせか。それとも彼は「出家」の思想を語っているのか。それともよく見かける光景というべきか。「思想」にかぶれ、「宗教」にかぶれた息子を呼び戻そうとする母の映像を何度見せられたことか。

それは置いておこう。元大工でマリアという母の子であった男が、いつどこで奇蹟を起こす術を身につけ、その言葉で人々を魅了することができるようになったのか。ここにも空白がある。

ルカはそのことに気づいていた。ヨセフとマリアとイエスの三人の親子が、ユダヤのベツレヘムからガリラヤのナザレに帰ってきたという記述のあと、洗礼者ヨハネ登場の場面のあいだに、彼はほかの三福音書にはない場面を挿入している。ほかならぬイエスの幼年期のエピソードである。

イエスの両親は、毎年過越の祭にはエルサレムに上った。イエスが十二歳のとき、祭が終わって帰路についたとき、旅の一行のなかに自分の息子がいないことに気づいた。捜しながらエルサレムに引き返すと、神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、熱心に話を聞き質問しているわが子の姿を見つけた。マリアが、どうして一緒に行動せずに、ここに残ったのか、みな心配して捜し回ったではないかと咎めると、少年イエスは、自分は父の家にいたのだから、心配することはなかったのにと答えた。両親にはその言葉の意味がわからなかったが、イエスはおとなしくナザレに帰り、その後は両親に仕えて暮らした。イエスは成長し、神と人々に愛されて暮らしたが、母のマリアはこの一件を忘れることはなかった。

物語の淀みない進行と、流暢な語り口を大切にするルカにしては珍しく取って付けたような唐突感がある。ルカの作り話だとは言わないし、言う資格もないし、証明のしようもないが、人間イエスの姿を描こうとすれば、どうしても出自について、その成長過程を再現してみたくなるのは人情というものだ。じつはイエスの幼年期を描いたテクストはけっこう残されている。たとえば「外典」とか「偽典」とか呼ばれる書物の一群のなかに、「トマスによるイエスの幼児物語」と題されたテクストがある。

これを初めて目にしたとき、ほとんど驚嘆に近い気持ちを抱いたことを今でも憶えている。こんな文書が残されていたのかという驚き。「@正典{カノン}」と呼ばれる、どこか敷居が高く、よそよそしい構えの「聖書」とは違って、親しみのある、われわれにとっては漫画のような、あるいは手を替え品を替え、語り継がれ語り直されてきた孫悟空の伝説のような、そんな印象を覚えたのである。たしかにこれでは「正典」のなかには含められないだろうな、とは思いつつ。驚きはもう一つ、今紹介したルカに描かれているエピソードが、そっくりそのまま引かれているのだ、しかも最後の章に。一瞬、ルカはここからあのエピソードを取ったのかと早合点した。しかし、そんなことがあるはずがない。解説を読めば、書かれたのはおそらく二世紀の終わりと記されている。ルカは一世紀の終わりころと推定されているから、百年の開きがある。でも、たった百年なのだ!

この本もまた何の前提もなく、いきなり佳境に入ってしまう。たとえばこうだ。

イエスが五歳のときのこと、雨が降って濁った川の流れを穴に集め、言葉で命じただけで、即座に清くしてしまった。また粘土をこねて十二羽の雀を作った。なぜ安息日にしてはならないことをするのかと父親に叱られたので、粘土の雀に向かって飛んでいけと命じた。すると雀たちは羽を広げ、いっせいに飛び立っていった。

なぜ、こんな荒唐無稽な物語に夢中になったのか。むろん、荒唐無稽だからである。荒唐無稽は意識して書けるものではないし、ふざけて書けるものでもないことは、お笑い天国に住むわれわれには説明のいらないことである。そして、この荒唐無稽は何よりも福音書に通じる。必ずしも悪魔払いや死者をよみがえらせるシーンのことを言っているのではない。むしろ、たとえば次のような場面。

ベタニアからエルサレムに向かおうとして、イエスは空腹を覚える。いちじくの木に実がついていないか確かめようとして近づいていくが、生い茂る葉のほかには何も見えない。いちじくが実をつける季節ではなかったのだ。すると、イエスはその木に向かって言った。「こののちいつまでも、おまえから実を食べるものはいないだろう」

そのとおりになったかどうかは書かれていない。ただ、その場にいた弟子たちはたしかにその言葉を聞いていた、とわざわざ念を押すように締めくくられている。

たぶん、弟子たちはあきれたのだ。読んでいるわたしたちもあきれる。いちじくの木に八つ当たりしているとしか読めないからだ。「トマスによるイエスの幼児物語」には、こんな場面が描かれている。

イエスが道を歩いていると、子供が走ってきて肩に突き当たった。イエスは怒って「おまえはもう道を進めなくなる」と言った。すると子供はその場に倒れて死んでしまった。

こんなものは奇蹟でも何でもない。いわば超能力の無駄遣いだ。トマスはただいたずらに、思いつくままにこんなでたらめを書いたのだろうか。こんなでたらめを書いて喜んでいる大人がいるとしたら、それは変態か、精神に異常を来しているか、どちらかだ。おそらく、こういう根も葉もない伝説も残っていたのだろう。トマスはこの伝説に興味を覚えて書き記した。そう思ったほうが納得する。

福音書に描かれているのは、民衆に愛されたイエスの姿だ。民衆の信じたイエスの姿、民衆が語り継いだイエスの姿が文字になって残っている。史実かどうか問うことは意味をなさない。史的イエスの姿は確かめる術もない。福音書から始まって、福音書に還ってくる。福音書は閉ざされている。信仰は閉ざされている。

読書もまた閉ざされている。目の前の本を読むには、まずその本を信じなければならない。

(つづく)