*59 フランスの女・抄(その2)

じつは前回引用した『フランスの女』の冒頭部分は、原作の映画にはないのである。二十数年も経った今では、当時何を考えていたのか、はっきりと思い出すことはできない。ただし自分で書いた文章なので、その根拠を推測したり想像したりすることはできる。映画の冒頭場面は、前回引用した文のあと、アステリスク(*)を挟んで、次のように文章化されている(自分で書いたのに他人事のようですが)。

 

老人がジャンヌの膝に頭をあずけて、静かに眠ろうとしていた。
「マドモワゼル、ちょっと父を看ていてもらえますか、お願いします」
 軍服をきっちり着こんだルイはそう言うと、広場に面した凱旋門をくぐり抜け、コルドリエ教会に向かって走っていった。ジャンヌの姉のエレーヌとルイの弟マルクの結婚式が始まろうとしていた。支度に手間取ったジャンヌがようやくスタニスラス広場までやってきたとき、偶然ルイと父のシャルルに出会った。ルイとジャンヌが顔を合わせるのはその日が初めてだった。そして、三人が広場を渡ろうとして中央の記念碑まで来たとき、シャルルが急に胸苦しさを訴えた。ルイは万が一のことを考えて、結婚式に参列している家族を呼びに行ったのだった。

 

 

そう、映画はこの場面から始まるのである。主人公ジャンヌとその夫になるルイの出会いの場面は美しい。なぜならば、スタニスラス広場が美しく、そこに聳える凱旋門が美しく、ロレーヌの古都、ナンシーが美しい街だからである。そして、エマニュエル・ベアールが美しく、ルイを演じるダニエル・オートゥイユの凛々しい軍服姿が美しいからだ。言葉はそれを美しいとしか書くことができない。それ以上の言葉は過剰になるか、同義語との置き換えになるか、説明に堕するか、いずれかにしかならない。文学は、芸術であるために決死の覚悟で言葉によって言葉に切り込む。

だから逆に、この映画の美しい冒頭の場面を言葉に書き起こすにあたっては、むしろできるだけ描写しないようにした。しかし、この場面を小説の冒頭に置くことはできないと考えた。映画は、ジャンヌの少女期をいっさい描いていない。回想シーンもない。だから、小説ではそれを書くべきだと考えた。ジャンヌの少女期がどんなものであったか、それを想像し、言葉の世界に定着させるためのヒントなり情報なりは、映画の冒頭場面にあるはずだと考えた。映画の冒頭は次のように展開する(つまり小説は次のように続いているということです)。

 

昼時のせいで、スタニスラス広場は閑散としていた。広場の中央に建っているルイ十五世の彫像を戴く記念碑の石段は、ジャンヌがその日身につけた地味な紺色のワンピースの生地を通じて、ひやりと冷たかった。老人は、興奮してしまったようだな、とぽつりと言った。
「よくあることじゃないかね?」
 老人は笑みを浮かべ、静かなかすれ声で続けた。ジャンヌは老人の白髪を撫でてやった。心臓発作かもしれなかった。ジャンヌは死の気配を感じていた。だが、それでいて安堵のような、不思議な幸福感につつまれていた。久しぶりに接する老人の肌と声に、幼いころに祖父の膝の上で過ごした穏やかな時間がよみがえってきた。老人もまた、初対面なのにごく自然に自分をいたわってくれるこの女性に懐かしさのようなものを感じて、こう尋ねた。
「あなたの名前は?」
「ジャンヌです」
 彼女は老人に名前を尋ねられたことが、なぜかうれしかった。

 

 

映画配給会社の試写室でこの冒頭場面を初めて見たとき、圧倒されてしまったことを憶えている。ルイ十五世の彫像の建つ広場で、なぜ老人は美女の膝枕で横たわっているのか。なぜ映画監督はこの場面を冒頭に選んだのか?おそらく——と私は考えた——これは事実なのだ。この映画は、ルイス・ヴァルニエ監督が奔放な生涯を送った自分の母親をモデルに構想した映画であると聞いていた。おそらく、ヴァルニエ監督の両親はこのようにして出会ったのだと想像した。

だとするなら——と想像はさらに飛躍する——、初対面でこんなにも老人を安堵させてしまうジャンヌの幼年期には、老人(祖父)とのあいだに流れた親密な時間の記憶が眠っているはずだと考えたのである。そして、ジャンヌのエロスの根拠もそこにあると。映画は——小説は——さらにこんなふうに続く(少しはしょりますが)。

 

結局、この日の式は取りやめになった。ルイの父シャルルは、このときの発作から立ち直ることはなかった。シャルルは病床でときおりジャンヌの名前を呼んだ。そのたびにルイはジャンヌを呼びにいった。父親の白髪をやさしく撫でるジャンヌの姿に、ルイはたちまち恋に落ちた。生涯の伴侶はこの人しかいないと思い込んだ。彼はすでに三十歳になっていた。それまで彼は恋らしい恋をしたことがなかった。真面目いっぽうの軍人だった。

 

映画では、老人(シャルルの祖父)はこの冒頭場面にしか出てこない。しかし、ルイとジャンヌをつなぐ重要な役割を果たしているのである。この老人はもう映画には登場しない。けれど、観客の頭のなかには、冒頭の美しい場面とともに刷り込まれてしまっている。いわば記憶の通奏低音として流れ続けている。この無音の背景音楽を小説世界で再現するにはどうしたらいいか。

その苦肉の策として、小説の冒頭に、祖父が孫にキュベレー神話を語り聞かせるという場面を持ってきたのである。盲目の祖父、これはホメロスなのである。引用を続ける。

 

病床の父を仲立ちにした二人の恋は家族に祝福された。軍人との結婚に当初反対だった母親のソランジュも二人は幸福になるだろうと信じた。そもそも彼女は三女のジャンヌを早く結婚させたほうがいいと思っていた。ジャンヌの奔放な正確を誰よりもよく知っていたのは母親だった。長女のマチルドと次女のエレーヌについては心配していなかった。自分を延長して考えれば、だいたいの行動の予測はついた。だが三女については、しばしばこれが自分の娘だろうかとさえ思った。その男好きのする容貌としぐさはいったいどこから生まれてきたのか。父親の姿を見ることなく育ったせいだろうかとも考えた。いや、ひょっとすると祖父の影響かもしれないとも思った。ソランジュの母方の家系は代々軍人だった。だから、彼女も軍人と結婚した。だが、父方の家系はライン川を上り下りする川の民の末裔だった。ラインの川の民はどの国家にも属していなかった。川のジプシーとも呼ばれていた。船を住み処として、独自の言語を持ち、独自の生活習慣を持っていた。ソランジュの父、すなわちジャンヌをかわいがった祖父にはこの川の民の気質が色濃く残っていた。変わり者だった。普仏戦争で目を失って以来、まともな職業には一度もついたことがなく、軍人の家に嫁いだ娘に無心して暮らしていた。ソランジュの夫が戦死すると、その家に住みついた。長女や次女はこの祖父を疎んじたが、ジャンヌだけはなぜか懐いた。ジャンヌには川の民の血が流れている、母親はそう思うしかなかった。

 

川の民。映画には、この単語はおろか、それを匂わせる場面さえない。ジャンヌの奔放なエロスの根拠を強引に川に惹き寄せてみたかったのである。

現在、ヨーロッパと呼び習わされている地域は古代ローマが最大限領土を拡大した時代の版図と重なるということを教えられたのは高校時代だったか、大学時代だったか。古代ローマと言えば道である。石畳の舗装路である。すべての道はローマに通ずと言われる。なるほど、とてもわかりやすい。しかし、大量輸送路としての川、大河についてはあまり語られない。中国であれば、初期の文明の段階から黄河と揚子江が引き合いに出されるのに、ヨーロッパに関しては、経済の動脈路としての川が引き合いに出されることはあまりない。それは私たち日本人が近代化の模範としてのヨーロッパから学ぶことに忙しかったからだ。

フランスに限定していえば、セーヌ川も、ローヌ川も、ロワール川もかつては内陸を横断する大量輸送路としてはほとんど絶対的な存在だった。とりわけライン川はスイス・アルプスを源流として北海に向かう、ドイツとフランスの国境そのものだ。ストラスブール(ドイツ語読みすればストラスブルク)を越えたあたりでドイツ国内を流れ、オランダ国内に入って二股にわかれ、ロッテルダムのあたりで北海に注ぐ。

だが、産業革命の進行にともなって、陸路と鉄路が整備されていくにつれて経済路としての川は二番手三番手の地位に後退していく。それだけではない。民族国家としてのまとまりと締め付けが強まるにつれて、川の民もどの国家に帰属するのか意思を鮮明にし、戸籍の登録先を選ぶことを余儀なくされ、子供たちには国民教育を受けることが義務化される。そして国語が彼らの意識を占拠するようになる。

 

ジャンヌはルイの求愛に、最初ためらいをおぼえた。彼が軍人だったからだ。彼女の父も軍人だった。父はジャンヌが母親の胎内にいたとき、西部戦線で戦死した。一九一八年十一月十日、ドイツとの休戦協定が結ばれる前日のことだった。母は絶望と不安のなかでジャンヌを出産した。ジャンヌは軍人の妻であることの不安をすでに胎内で感じていた。

 

こんな場面も映画にはない。ジャンヌの父に関する情報はいっさいなかったと思う。エロスと死は男女の恋のなかにだけあるわけではない。国家の盲目の意志のなかにも、人間を戦争に駆り立てる情熱のなかにも、それは潜んでいる。三島由紀夫が生涯にわたって追い続けたテーマを、この映画の小説化を通じて、自分なりに変奏してみたかったのかもしれない。

次は第一章に引き継がれる導入部の締めくくりの一節である。

 

父シャルルの喪が明けた翌年の七月、ルイとジャンヌ、マルクとエレーヌの二組の結婚式が同時にとりおこなわれた。ジャンヌの白いウェディングドレスは、上気した彼女の肌にひときわ鮮やかに映えた。七月のナンシーのさわやかな風が吹き抜けると、その絹のドレスは風をたっぷりはらみ、ジャンヌは軽やかに笑みを振りまいた。ルイはこれほど美しい女が自分のものになるとは信じられなかった。ジャンヌと並んでカメラの前に立ったルイは彼女の耳もとにこうささやいた。
「ぼくの妻だとは思えないくらいきれいだよ」

(つづく)

*58 フランスの女・抄(1)

今回から、このブログで新たな展開を試みようと思います。

何回続くか見当がつきませんが、一冊の本のハイライトシーンを選んで、このブログで紹介しようという試みです。

本のタイトルは書影のとおり、『フランスの女』(早川文庫、一九九五年)。

表紙にはレジス・ヴァルニエ著、高橋啓訳と記されているけれども、この本は通常の翻訳作品とはちがうので、少し説明します。

レジス・ヴァルニエという著者については、映画ファンなら心当たりがあるでしょう。一九八六年にジェーン・バーキン主演の『悲しみのヴァイオリン』で映画監督としてデビューし、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『インドシナ』で一九九三年のアカデミー賞外国語映画賞、セザール賞では主要五部門を総なめにするという快挙を成し遂げたフランスを代表する映画監督のひとりです。

『フランスの女』はこのレジス・ヴァルニエの第四作目で、フランスで一九九五年に公開され、同じ年に日本でも公開されました。主演はエマニュエル・ベアール。ハリウッド女優にはない、なにか妖しさと危うさを秘めた、少し翳のあるブリジット・バルドー——若い人は知らないでしょうが——のような女優でした。

じつはわたしは、このベアール主演の映画作品を二度にわたって「翻訳」しているのです。一作目は『愛を弾く女』(早川文庫、一九九三年)、二作目がこの『フランスの女です』。わたしが原作を翻訳したという体裁で本は刊行されていますが、出版業界ではノヴェライゼーション(映画の小説化)と呼び習わされているジャンルの仕事です。

 

 

この仕事のための素材として訳者に与えられたのは、映画作品そのものとシナリオ、そしてプレス資料だけでした。その意味ではこのテクストは翻訳というより、いわゆるノヴェライゼーションと呼ぶべき作品ですが、映像とそれによって喚起された情動を言葉に書き写す作業という意味では、わたしは翻訳の延長だと考えております。(『フランスの女』訳者あとがき)

 

 

これを書いてから二十四年、ほぼ四半世紀の歳月が流れたのかと思うと、気の遠くなるような目眩にも似た気分に襲われます。当時わたしは四十歳を超えたばかり、東京で所帯を持ち、子供たちはまだ小学生か中学生、とにかく物を書く仕事で、金になることであれば何でもやった。戯曲の翻訳もやったし、大手ゼネコン会長さんの発明自叙伝のゴーストライターまで頼まれたことがあった。

翻訳であれ、ノヴェライズであれ、ゴーストライターであれ、世を忍ぶ仮の姿とはいわないまでも、その仕事に価値があるかないか、それが本業であるかないか、そんなことはお構いなしに、でも怖いので、目をつぶって清水の舞台から飛び降りる(?)ようなつもりで、与えられた仕事にぶつかっていった。後は野となれ山となれ、です。

野となったのか、山となったのかはわからないけれども、今は、こうして生まれ育った町に帰ってきて、老いた母と二人で暮らしています。

過去を振り返っている余裕はない。でも自分の立ち位置を確認する作業は、フリーランスという職業につきまとう業のようなものかもしれません。

自作の解説は野暮でしょう。まずは冒頭の数ページをお読みいただきたい。

幼いころ、ジャンヌは祖父に愛された。

ジャンヌはいつも祖父の膝の上にいた。祖父が庭に面したテラスに背の低い籐椅子を出して日向ぼっこをはじめると、どこからともなくジャンヌがやってきて、その膝の上にちょこんと座った。祖父は盲目だったが、話はことのほか上手だった。ラ・フォンテーヌの寓話やペローの童話をじつに巧みに脚色して、孫に語り聞かせた。ジャンヌは、その話の筋よりは耳もとで響く老人のかすれた柔らかい声が好きだった。その声は庭を流れる風の音や梢で鳴く鳥の声とまじって、ジャンヌの産毛におおわれた耳をそっとかすめていった。

ジャンヌはよく男の子にいじめられた。いじめられると祖父の膝に乗った。性的魅力{コケットリー}とはおそらく天賦のもの、美しさとはまた別の、天から降った才能なのだろう。ジャンヌの前に出ると、少年たちは不思議な魅力のようなものを感じるのだが、彼らにはそれが自分たちのうちに眠っている性が刺激されているとは思わないから、むしろ自分たちの野性を縛ってしまうその魔力に軽い苛立ちをおぼえる。そのつもりもないのにジャンヌをいじめ、仲間はずれにしてしまう結果になる。ジャンヌもまた、自分が無意識のうちに少年たちを惹きつけようとしているとは思っていないから、少年たちの邪険な態度に傷つく。だが、彼女の肉体が成熟のきざしを見せはじめ、彼らの肉体にも変化が訪れると、関係は一変した。彼らは彼女が自分たちの性を刺激していることを意識しはじめる。彼女も自分の身ぶりのひとつひとつに少年たちを動かす力のようなものがあることを意識しはじめる。するとジャンヌは少女たちから疎まれた。彼女にとって性とは自分のかけがえのない才能、あるいは自分の存在をあかしてくれる証拠のようなものだったが、いやおうなく自分を孤独にしてしまう宿命のようなものでもあった。

ジャンヌの祖父はじつに様々な物語を孫に語り聞かせた。そのなかでも幼いジャンヌの胸に深く刻み込まれたのは、ギリシア悲劇の大地母神キュベレーの物語だった。いつもなら、祖父の声はそよ風のようにジャンヌの耳を素通りしてしまうはずなのに、フランス語で〈シ・ベル〉(とても美しい)と発音するこの女神の話に、少女は異様な胸騒ぎをおぼえるのだった。祖父の声も心なしか上ずっているように聞こえた。

ゼウスが天空で眠っているとき、あやしげな夢をみて精をもらした。それが大地に落ちて、キュベレーが生まれた。キュベレーは両性を備えていたが、神々に男根を切り落とされ、女性にされた。男根は土深く埋められたが、そこからアーモンドの木が生え、やがて白い花を咲かせ、実を結ぶようになった。たまたま、川の神の娘がその近くを通りかかり、アーモンドの実を懐に入れた。娘は身重になり、アッティスという男の子を産み落とした。だが、この出生に不吉なものを感じて、山に捨てた。アッティスは雌山羊に育てられ、世にも稀な美少年になった。アッティスはキュベレーに見初められ、キュベレーは深くこの少年を愛した。少年もキュベレーの愛を裏切るまいと誓い、キュベレーはアッティスが永遠に少年に留まるように祈る。だが、この美少年に言い寄るものは数知れず、いつしか樹木のニンフと恋仲になってしまう。この恋に嫉妬したキュベレーはニンフの宿る木を切り倒して殺す。アッティスは悲しみに狂乱する。刃物や石で自分の体を傷つけ、ついにはみずからの男根を切り落として果てた。

ジャンヌの祖父は孫を膝の上に抱いて死んだ。ジャンヌは祖父が絶命していることに気づかなかった。眠ったのだと思った。いつも祖父はいくつかの物語を話し終えると、静かな寝息をたてた。その寝息がジャンヌの首筋に触れると、彼女は静かに祖父の膝から降り、膝掛けをかけてやってから家の中に入った。その日は寝息が首筋に当たらなかった。でも、寝たのだと思った。そして母親のソランジュに「おじいちゃん、寝てしまったよ」と言った。母親はいつものことだと思い、マカロンの生地を練る手を休めなかった。だが、その日にかぎって娘は執拗だった。「おじいちゃん、寝てしまったよ」と、母親が手を止めるまで繰り返した。ジャンヌが十歳のときのことだった。

 

 

(続く)