1 ムルソーの食卓——(今日の晩ご飯は何にしようか……)

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今日の晩ご飯は何にしようかと思いめぐらせながら、近くのスーパーまで自転車を走らせているうちに、地元の同人誌から頼まれている原稿のことを思い出した。さて、何を書いたらいいものやら。

誘われて同人たちの会合に顔を出してみると、想像していたのとだいぶ違うので少し驚いた。おそらく多少ばかにしていたというか、なめていたというか。いや、そういうのとも違う。むしろ文学愛好家という人種に昔から違和感を持っていたというべきかもしれない。文学は愛好できるものなのか?

長いこと翻訳という仕事に関わってきたけれども、文学というものがいまだに遠く、どうも素直になれないのである。そもそも最初のころは、文学はおろか、書籍の翻訳さえやっていなかった。用が済めばシュレッダー行きになるような文書ばかり翻訳していた。その仕事は楽しかった。自分がタイプライターとか、ワープロとか、マシンと化す感覚が心地よかった。その快楽をどうして捨ててしまったのかと、今でもときどき思うのである。でも、そんなことは言っていられなくなった。三十年近くこの仕事を続けてきたのだから。

同人誌のことに戻る。この同人誌、きけば五十年も続いているというのである。これは何事かである。まるで時間が止まっているかのようでもあるが、みなさん熱心である。本を読むのが好きで、文字を書くことが好きで、年に一回、自分の書いたものが活字になることを楽しみに日々を過ごしている。学校の事務職であるとか、役場勤めとか、ローカル紙の記者とか職種はさまざまだが、文学的野心のようなものはなく——少しはあるかもしれないが——、ただ書くことを通じて自由感を味わうことができればいい。そんな人たちばかりのように見えた。

長いこと生きてくると、かえって何がなんだかさっぱりわからなくなってきて——自分が長いこと生きてきたのかどうかさえわからないし、長い短いは何を根拠にしているのかもわからないのだが——、とりあえず長く続いてきたものだけが正しい、信じられる、そういう気分になってきた。それで何か書いてくれというので、それじゃ書きましょうということになったのである。

詩を中心にした同人誌である。

さすがに詩は書けないから、エッセイということになるのだろうが、このエッセイというやつが曲者で、頼まれていくつか書いたことはあるが、なんだかどれも中途半端で満足したことがない。テーマも枚数も自由だといわれると、かえって茫洋として何を書いていいのかわからない。

スーパーに入って魚屋のあたりをうろうろしていると、大きな殻付きのホッキがごろごろしているのが目に入ってきた。手にしてみると持ち重りがする。刺身にするか、フライパンの上にバターを落としてソテーにするか、炊き込みご飯にするか、いろいろ手はあるけれど、さて、今夜はどうする。

 

夕飯の献立はどうにかなるとしても、何を書くかはいっこうに決まらない。さっきからずっと本棚の前で立ち尽くしている。本棚はぜんぜん整理されていない。国木田独歩の隣にプルーストがあったり、ミラン・クンデラの隣に開高健があったりする。東京から引っ越してきたときにとにかく段ボールの中の本を本棚に収めないと足の踏み場もないので、何も考えずに空いている棚にかたっぱしから放り込んでいったら、こんなことになってしまったのである。そのうち整理しようと思っているうちに数年が経ってしまった。

で、本棚の前をあっちに行ったりこっちに来たり、膝を折って一番下の段に目を凝らしたり、あるいは一番上を見やり、本棚の天板と天井とのあいだに無理やり押し込んだ文庫本の背表紙の列をながめていたら、かすれた「異邦人」の文字が目に飛び込んできた。

こんな隅っこに押し込んでいたのかと思いながら、脚立に乗って取り出してみた。あれ以来だから、何年ぶりになるのか。三十年、四十年? ついでに原書もさがしてみる。こちらは日本語の本より少ないから、すぐに見つかった。

パラ、パラと原書のページをめくって、ふと手が止まった。

 

二時のバスに乗った。とても暑かった。いつものように食事はセレストの店ですませた。みんな、ひどく同情してくれて、セレストは「母親はひとりだけだからな」と言った。店を出るときには、みんなで見送ってくれた。エマニュエルの部屋まで上がって黒のネクタイと喪章を借りなければならなかったから、あたふたしていた。彼も数ヵ月前に叔父を亡くしていた。

 

ムルソーは何を食べていたか?

セレストの店で彼が何を注文し、何を食べたかについては何も触れられてはいない。母親の葬式の前に何を食べたかなんてどうでもいいことかもしれないが、とにかく彼は食事をしている。ほかにも食事の場面はたくさんあったのではないか。その場面をつなげていったらどうなるか。ひょっとしたら、おもしろいものが見えてくるかもしれない。こうして久しぶりに『異邦人』のページを繰っていくことになった。