1 – 3(それはそうと、とにかく同人誌に掲載するエッセイを……)

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それはそうと、とにかく同人誌に掲載するエッセイを書きはじめなければならない。

ムルソーはセレストの店で昼を食べてから、二時のバスに乗り、アルジェから八十キロ離れたマランゴの養老院に向かう。

彼は養老院の死体置き場で、門衛といっしょにカフェオレを飲み、煙草をふかし、母親を弔う通夜の晩を過ごすことになる。この行為は、のちの裁判シーンでは、検察官がムルソーの「無感動」な態度を告発するときの格好の材料となるが、ここでは飲み食いする場面として、ことさら取り上げるほどのことでもない。

次にムルソーが食事をする場面は、二日後の日曜日にとぶ。ちなみに、その前日の土曜日——つまり、葬儀の翌日——は海に泳ぎに行き、そこでかつて同じ事務所で働いていたマリー・カルドナという女性と再会し、映画を観てからそのまま夜をともにしている。「夜、マリーはすべてを忘れ」、ムルソーが目覚めたときには「いなくなっていた」。

彼は、今日が自分の嫌いな日曜日であることを思い出し、マリーの髪の毛が残した潮の香りに埋もれて、また十時まで眠り、目が覚めても昼までベッドのなかで煙草を吸っている。

いつものようにセレストの店で食事をする気にはなれなかった。行けばきっとあれこれ質問されるだろうし、そういうのは苦手だから。卵をいくつか焼いて、そのまま食べた。パンはもうなくなっていたけれど、わざわざ買いに行くのがおっくうだった。

いかにも、日曜日の昼まで寝ていた独身男の食事らしい。目玉焼きも、ちゃんと作ろうとすればデリケートな料理だというが、この場合はフライパンで焼いて、皿にも盛らずじかに食べている。塩をふったのかどうかもわからない。

このあとムルソーは、自分の住む下町の集合住宅の一室から、ひたすら往来を見下ろして午後を過ごす。晴れていた空が陰り、雨がぱらぱらと降り、ムルソーはまた煙草をふかしたり、チョコレートをかじったりしながら、下町の賑わいを見つめている。やがて日は傾き、夕闇が降りてくる。

 

すると突然、街灯がともり、すでに夜空に上がっていた最初の星たちの輝きがうすれた。歩道の上の人々と光を見ているうちに、目が疲れてくるのを感じた。街灯がぬれた舗石を照らし、規則的に行き交う路面電車の明かりが、つややかな髪や笑顔や銀のブレスレットに反射した。やがて電車があまり通らなくなり、樹木や街灯の上ではすでに宵闇が濃さをまし、いつのまにか街から人影が消え、ふたたび閑散とした通りを最初の猫がゆっくりと通りを渡っていった。そこでようやく、夕食をとらなければと思った。椅子の背に長いこと顔をあずけていたせいで、少し首が痛んだ。外に出てパンとパスタを買ってくると、自分で料理を作り、立ったままで食べた。また窓辺で煙草を吸いたくなったが、夜風が冷たく、寒気がした。窓を閉めて引き返そうとしたとき、窓ガラスに映ったテーブルと、その上に置いてあるアルコールランプとパン切れが目に入った。なんの変哲もない、あいかわらずの日曜日だった。ママはもう埋葬されたし、明日からはまた仕事、結局なにひとつ変わりはしないのだ、と思った。

 

数ページにわたって続く、街路の描写はとても美しい。この眺めは、著者のカミュが少年時代に住んだアルジェの下町、ベルクール地区——アルジェの市街地は海から急激に立ち上がる崖っぷちのような傾斜地に建設されているから、文字どおりこのあたりは町の下に位置している——の中心をなすリヨン通りの景色だろう。独立後はモハメド・ベルイズダード通りと改称されたこの通りに、私は運転手のラムダニといっしょに何度足を運んだことか。正直に言うと、リヨン通りの独立後の通りの名前を正確にどう発音すべきか、知らないのである。現地のベテラン運転手ラムダニは、独立前のアルジェの通りの名前をちゃんと記憶していて、日本人がどちらの名前で呼んでもちゃんと応じてくれたからである。

彼は街のあらゆるところに連れていってくれた。工具や金具を買うならこの店、車の修理ならあのガレージという具合に、まさに生き字引というか、生きている地図というか、だから今でもアルジェ、アルジェリアの地図は持っていない。彼が地図だったから。ラムダニは敬虔なイスラム教徒で、高見山みたいにどっしりした体つきで、大きな目が愛くるしかった。右手——左手だったかもしれない——の親指には独立戦争のときの名誉の負傷があった。自宅に招かれて、クスクスをご馳走になったこともあった。

ムルソーの行きつけのセレストの店も、彼が住んでいる——つまりカミュ一家が住んでいた——部屋もこのリヨン通りに面しているのだろう。残念なことに、この下町のリヨン通りでは、サハラの工事現場で急遽必要になった金具類を買いにいったり、事務所で使う文房具を買ったりした以外、とくに食事をしたり、コーヒーを飲んだりしたこともなかったから、セレストの店のモデルになった店がそこにあったのかどうか定かではない。ただ、ムルソーの行きつけの店として登場するから、おそらく自分の住まいの近くだろうと見当をつけているだけのことである。

それはともかく、じつに細かく、ときに遠近法を無視して描かれた街の夜景は、繰り返すが、異様なまでに美しい。ムルソーの目が潤んでいるとしか思えない。でも、彼がこのとき何を食べたかはわからない。パンとパスタを買ってきたのだから、スパゲティか、マカロニかペンネの料理でも作ったのだろう。トマトも買ったと書いてあれば、赤いソースのからんだ白いパスタが目に浮かぶが、パンとパスタだけじゃ、何もわからない。この物語の冒頭でムルソーが受け取る電報と同じだ。

 

今日、ママが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、よくわからない。養老院から来た電報には、「ハハウエシス。マイソウアス。アイトウノイヲヒョウス」とある。これじゃまるで要領を得ない。たぶん昨日だったのだろう。

 

ムルソーの語りには、わからない、知らない、どうでもいい、などの言葉が頻出する。カミュの最初の構想では「無関心な男」というタイトルだったそうな。やがてそれは「幸福な死」という長編小説となるが、結局この小説は未刊のままに終わった。何が気に入らなかったのか。そして時間が経過して「異邦人」という名の小説に生まれ変わる。それと同時にカミュという作家が生まれ、時代の寵児となり、ノーベル賞を受け、プロヴァンスの家から車でパリに向かう途中、プラタナスの街路樹に激突して、あっけなく死んでしまう。