1 – 6(これで、われわれとムルソーとの食事は終わりになる……)

  †

 

これで、われわれとムルソーとの食事は終わりになる。

第二部で展開される裁判については、何も言うことがない。独房でのムルソーの、いつになく雄弁なモノローグについては、あまり関心がない。関心があるのは、あくまでも@娑婆{傍点}にいるムルソーなので。

それにしても妙なものを書いている、とわれながら思う。ムルソーの食事の場面を引用し、前後関係を説明し、筋立てを追うだけ。なんの論評もない。感想文にすらなっていない。

こんなもので同人誌のメンバーは許してくれるだろうか。

でも、しかたがない。『異邦人』にかぎらず、カミュにかぎらず、小説にかぎらず、歴史書にかぎらず、哲学書にかぎらず、こんなふうに本を読んできたのだから。

どんなふうに?

そう問い返されると、うまく答えられない。

自分が読書家だと思ったことは一度もない。翻訳という仕事に長く携わってきたので自然と本に接する時間が増えただけのことだ。愛書家などでは断じてない。本はときどき発作的に大量に処分する。

ただし、書物と読書の時間はなくてはならないものだ。

食べることと同じように。

生きることと同じように。

  †

 

カミュの『異邦人』がアメリカのハードボイルドから大きな影響を受けているということは、あまりよく知られていないように思う。ハードボイルドの定義はなかなかむずかしいところがあるけれど、具体的には、たとえばヘミングウェイからの影響については、サルトルがいち早く指摘し、カミュ自身も認めている。

じつは、このハードボイルドと『異邦人』の関係を初めて耳にしたのも、アルジェリアだった。といっても、最初に赴任したアルジェではなく、二度目に滞在したジジェルという町でのことである。

一年の契約を終えてアルジェから帰ってきてしばらくは、無為の日々——これはこの世でもっとも美しい言葉ではないかと思っている——を過ごしていた。でも、そのまま遊んで暮らせるほど稼いだわけではないから、結局またアルジェリアに舞い戻ることになった。この国の東部にジジェルという県があり、同名の県庁所在地がある。首都アルジェの次は、地中海に面した片田舎の小さな町の外れに冷凍倉庫を建てるプロジェクトの通訳として滞在することになったのである。

ここで生まれて初めて、飯場暮らしというものを経験した。鉄柱の骨組みにベニヤ張りという、いたって簡単な住居。そういう建物が二棟あって、一方の棟の一階には、共同の食堂と娯楽室と風呂があり、その二階には建設会社のスタッフと通訳が、それぞれ四畳半の個室を与えられて過ごしている。もう一方の棟には、様々な職種の職人さんたちが暮らしている。総勢三十名ほどだったろうか。

建設現場の周囲はなんの手入れもされていない野原だった。初夏には真っ赤なヒナゲシが咲き乱れ、野原を横断する電線を支える電柱のてっぺんには、巨大なコウノトリが巣を作っていた。掘り返された地面には、黒光りする鎧を背負ったフンコロガシがそこかしこでせっせと働いていた。

海岸を通る国道から現場に通じる道はでこぼこの砂利道だったが、どういうわけか片側だけユーカリの並木があって、車が通ると、並木全体がざわざわと騒ぎ立った。枝葉の音ではなく、そこに巣くう大勢の雀たちの羽ばたきの音だった。ほつれたセーターを着た少年が山羊を追い、ロバが情けない声を振り絞っていた。

ファーブルの驚異的な忍耐力も、セザンヌのしなやかで強靭な色も、こういう風土から生まれたのだろうと思った。地中海の向こう側の話ではあるけれど。

現場にはもう一人通訳がいた。小さな現場になぜ二人も通訳がいたのか、今も、というか、今となっては、よくわからない。

彼は勉強家だった。いつも部屋にこもって本を読んでいた。あるとき読んでいたのはジェームズ・ケインの本だった——タイトルは忘れもしない『セレナーデ』、原語の英語ではなく、フランス語訳で読んでいた。このときの話の展開や経緯はもう思い出せない。なにしろ、彼の名前さえ忘れてしまっているのだから。なぜそんなものを読んでいるのか、ふしぎに思って、こちらから尋ねたのだろう。彼は答えた。

「カミュの『異邦人』はケインの影響を受けているという説もあるんだよ」

ほとんど息を呑んでその言葉を聞いたような記憶がある。ヘミングウェイはともかく、それまでケインの本は一冊も読んだことがなかった。アメリカの現代文学とフランスの現代文学に接点があることなど思いもよらないことだった。『異邦人』といえば実存主義がどうのこうの、文語調の単純過去を捨てて、一行目から口語の複合過去で書いたとか、そんな知識しかなかった。すべて学校で習った知識に過ぎない。

でも、著者もその作品も、時代のど真ん中でもがいていたのだ。カミュは第一次大戦が始まる前年の一九一三年に生まれている。一七年にロシア革命が起こり、三三年にナチスが政権を握り、第二次大戦が起こり、四〇年にフランスはドイツに全面降伏し、本土の大半がナチスに占領される。彼は生まれ育ったアルジェにいて、設立されたばかりのフランス共産党に入党し、劇団まで立ち上げる。

アメリカ大陸ではニュヨークの株式市場が大暴落し、世界恐慌へと広がっていく。ヘミングウェイの初期の代表作も、ハメットの『マルタの鷹』も、ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』も、チャンドラーの『大いなる眠り』も、そういう大不況のなかで出版されている。

一九四〇年、ようやく『異邦人』が完成する。これを占領下のパリのガリマール社に送った。この一世一代の賭けはみごとに当たる。刊行されると大きな反響を呼び、彼の作品は矢継ぎ早に活字になっていく。そのとき彼は二十九歳になっていた。

大恐慌のなかでも、戦時であっても、占領下にあっても、人は本を書き、本を読む。

一九四四年にノルマンディ上陸大作戦が決行され、二百万を超える連合軍の兵員が続々とフランス本土に侵攻する。翌年ナチス・ドイツは壊滅し、パリもフランスも解放され、それと同時に、アルジェリア全土で暴動が勃発する。

一九五七年にノーベル文学賞を受賞してから三年後の六〇年、ガリマール社の創業者ガストンの甥、ミシェルの運転する高級車ファセル・ヴェガで南仏の自宅からパリに向かう途上、車が道路脇のプラタナスに激突する。

一九六二年、彼の故郷アルジェリアは激しい戦闘ののちにフランスから独立する。
一九八二年夏、われらがプロジェクトの運転手ラムダニは、そのとき親指に受けた名誉の傷痕を、プジョー五〇四のハンドルから手を離して、日本人通訳の目の前に誇らしげに突き出した。

  †

 

同人誌に載せる原稿はどうにか書き終えた。印刷物になったものを、年末に忘年会を兼ねて批評し合う。これがなかなかスリリングなのだが、おおむね好評だったので、ほっと胸をなでおろした。でも、それで終わりにはならなかった。

今、目の前に、週に一度妻と交わした手紙の束がある。アルジェの事務所で使っていた会社の用箋に殴り書きされた私の手紙は、結婚してすぐに移り住んだ東京のアパート宛で、アルジェリア製の腰の弱い紙質の、オレンジと緑で縁取られた封筒に入っている。ごくふつうの質素な便箋に誤字脱字のいっさいない端正な文字で書かれた妻の手紙は、律儀な大文字のアルファベットで記されたアルジェの事務所宛て、赤と青の縁取りのある日本製の、今ではすっかり時代遅れになった航空便専用の封筒に入っている。

この手紙の束を見ていると、浮かび上がってくる光景がある。

結婚してまだ間もない、よく晴れた日曜日の朝、六畳間に置いた小さなテレビを見ていたとき、ふと気になって背後を振り返ると、妻がアイロンをかけていた。うつむきかげんのせいか、かすかにほほ笑んでいるように見えた。それまで幸福というものについても、自分自身の人生ということについても、考えたことがなかった。

それからしばらくして、私は勤めていた会社を辞めた。それとこれとがどう結びつくのか、本人にはわからない。二人でどんなことを話し合ったのかも憶えていない。あとのことはすべて成り行きまかせ、ひとつひとつの偶然をつなぎ合わせて、この今があるとしか言いようがない。

たぶん寝てる子を起こしてしまったのだろう。本棚の隅で眠っていたムルソーの物語は、ならばその出発点に遡ってみたらどうだと唆すのである。