2 – 3(ブザレアの事務所は、サハラの奥地に点在する……)

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ブザレアの事務所は、サハラの奥地に点在するオアシスに小型のディーゼル発電所を設置するプロジェクトの兵站基地であり、ベースキャンプだった。日本から派遣されてくる職人さんたちを迎え入れ、そしてサハラの現場に送り出す。あるいは東京の本社から出張してくるエンジニアに同行して、施主の「アルジェリア電気ガス公社」(通称、SONELGAZ、われわれはソネルガスと呼んでいた)を相手に技術的折衝や打ち合わせの際の通訳、あるいは翻訳、図面の整理保管、そのほかにも日々雑多な連絡業務やら事務仕事やらがあって、目の回るような日々だった。

通訳とか翻訳とか、そういう言葉だけ聞けば、何かしら知的な仕事のように思うかもしれないが、内実は惨憺たる業務であり、このとき受けた語学的トラウマは一生消えない。といっても、そのトラウマのおかげで、氷解する記憶の苦痛に耐えさえすれば、本人が唖然とするほど細かいことまで脳裏に浮かび上がってくる。

日本側は、商社M——ちなみにMのイニシャルを持つ大手総合商社は三社あるが、そのうち最大手の二社はもはや固有名詞では呼ばずに、物産、商事と普通名詞で呼ぶんだよと、これも高野が教えてくれた——を頂点として、発電機にかかわるF電機、燃焼機関にかかわるFディーゼル、そして設置施工にかかわるFエンジニアリングというふうに、ピラミッド状の組織構造になっている。そして、発電機の図面、エンジンの図面、設置工事の図面それぞれを施主に提出し、承認が降りた順番にオアシスの各現場で工事着手となる。発電機、エンジン部門は今さら問題の起こりようもないのだが——問題が起こるようなら契約が成立しない——、問題は現地への設置施工だ。ただの平地でも、山地でも、船上でもない、いつなんどき砂嵐が襲ってくるかもしれないサハラ奥地のオアシスに設置するのだ。砂対策がすべての鍵を握る。しかも、ただの砂ではない、パウダーのような微粒子の砂なのだ。その砂を実際に見て、この手で触れたのはずっとあとになってからのことではあるけれど。

施工図面は三段階の審査を受ける。最初は赤枠で囲まれたVuのスタンプ(受け取り確認)、次にApprouvé(承認)、最終図面には Confirmé(最終確認)のスタンプが押される。それを受け取りに週に二、三回ソネルガスに通う。技術本部のあるフロア——さすがに三階だったか四階だったか忘れてしまったけれど——までエレベーターで上がって、大きなテーブルのある部屋で待たされる。しばらくすると技術者が図面を持って現れ、テーブルの上に広げる。赤鉛筆で書き入れた文字の意味を説明しはじめるのだが、最初はなんのことやらまったくわからなかった。

それはそうだろう。ドライバーとか、レンチとか、ボルトやワイヤーといった、ごく日常的な大工道具として使われる工具や金具でさえ、フランス語の名称を知らなかったのだから。研修のときに単語帳みたいなものを渡されはしたけれど、そんなものは本番ではまったく役に立たないし、『異邦人』にはムルソーが何かを修理したりする場面は出てこない。

途方に暮れた。ソネルガスの技術者のしゃべるフランス語が自動小銃から飛び出してくる弾丸のように思えた。わからない単語は、急所に当たらないように避けるだけ——少なくともそういう才覚なり、生存本能はあったようだ。日々の仕事が終わり、事務所の日本人三人で根城のホテル・マザフランに向けて帰路につくたびに、ああ、今日も死なずにすんだと思ったものだ。

それだけならいい——よくはないけれど——、サハラの奥の工事現場との連絡が至難というか、気の遠くなるような忍耐力を要求されるのだ。

 

たしか、アルジェに入って一週間か十日くらいしか経っていないころだったと思う。アルジェリア政府が突如として、最高額紙幣の五百ディナール札を廃止するというお触れを出したのである。一両日中に最寄りの金融機関で両替をするように、と。アルジェ市内の銀行にはすでに長蛇の列ができている。なんのための措置か、最初は見当もつかなかったが、どうやら、国内の反政府組織の資金源を断つのが目的らしいという憶測が広がった。当時のアルジェリアはインフレだったので——今も?——、反政府組織ならずとも、五百ディナール札で箪笥貯金をしている人が多かった。とりわけ公共事業とかプラント工事では大量の現金が動くので、百ディナール札では嵩張って仕方がない。事実、この新米通訳の私だって、数ヵ月経って事務所の経理まで任されるようになったときには、いつもジーンズのポケットに百枚くらいの百ディナール札が入っていた。

われらがプロジェクトも同様だったのである。現場の責任者はアタッシュケースに百枚は下らない五百ディナール札を常時入れていた。はたしてサハラの奥地のオアシスまで、突然の政府発表が届いているか? 届いていなければ、現場を回す資金がただの紙屑になってしまう。ちなみに一ディナールは一フランと同じく、当時は七十円だった——つまり、五百ディナールは三万五千円ということ。

そこで、ただちにサハラの現場に電話せよ、という命令がボスの坂口から下った。電話もまた通訳の主たる業務のひとつである。しかし、それまでフランス語で電話をかけたことがなかった。そんな必要はなかった。フランス語の教科書には、たしか電話のかけ方が載っていたけれど、すでに遠い昔の話だ。ただでさえ慣れない業務で緊張しているというのに、電話をかけろとは酷な話だった。

しかし、呼び出し音を十回以上鳴らしても、電話は通じない。

「通じないんですけど」と言うと、高野が「そんなんで通じるわけがないだろ。通じるまで鳴らし続けるしかないんだよ」と言う。

サハラの奥地まで通じている電話回線は無線によるものだ。だから、快晴で無風の状態でもないかぎり、電話がすんなり通じることはない。たいていは砂嵐の影響や、磁場の乱れで通じないことが多いのだという。

そうして一時間経っても通じない。二時間経っても通じない。いったん切ってかけ直しても同じこと、そのうち受話器を握る手が痺れてきた。また切ろうと受話器を下ろしかけた瞬間、向こうから声が聞こえた。女の声、何か叫んでいる。

「アロー? こちらはアルジェの連絡事務所ですが、そちらはどちらさま?」みたいなことをたどたどしくしゃべっていると、高野が「バカヤロー、そんなんじゃダメなんだよ」と言って、受話器を無理やり奪い取り、「ジャポネ、シルブプレ、ジャポネ、シルブプレ!」と連呼している。しばらくすると、高野の声が日本語に変わった。通じたのだ。奇跡としか思えなかった。

あとで聞いた話では、現場の電話はまさに発電所の中に設置されていて、日本人が中で作業していないときは、現地雇いのおばさんが掃除をしていたりする。このおばさんにはフランス語がほとんど通じない。たぶんアラビア語もそんなには通じない。なぜならトゥアレグ族だから。

早く言ってよ!

つまり、子供にでもわかるようなフランス語——でも、あれがフランス語か!?——でなければ通じないということなのだ。その後は、サハラの現場に電話して、トゥアレグのおばさんが出たら、通訳の誇りなんぞかなぐり捨てて、「ジャポネ・シルブプレ」一本で押し通した。

 

まだある。だが、これは通訳の主たる業務なんかでは断じてありえない。空港へのお出迎えだが、ときとして出迎えるのは人ではなかった。

空港の名はウアリ・ブーメディアン、第二代アルジェリア民主人民共和国大統領の名を冠している。独立戦争の英雄であるこの軍人大統領は国民にとても人気があって、独立戦争の闘士のひとりであった運転手ラムダニが、この大統領のことを語るときには——アメリカの大統領と会談したときもひるむことなく堂々としていたとか——、本当に目を潤ませていた。われらがプロジェクトの契約が成立するのとほぼ同時の一九七八年、この大統領は四十六歳の若さで病死——非常に稀な血液癌の一種だったという——してしまったから、なおのこと胸に迫るものがあったのだろう。彼は初代大統領のベン・ベラをクーデタによって幽閉し、政権を奪取すると、社会主義路線の枠内で潤沢な石油ガス資源を背景に重工業化政策を押し進めた。そのせいでアルジェリア全土に工業先進諸国にって各種プラント——製油所、製鉄所、セメント工場などなど——が建設されることになる。われらがディーゼル発電所の建設も、小規模ながらも全国のインフラ整備の一環だったのである。

たしかに一基ずつの発電所の規模は小さい。私の記憶が確かならば、発電機とエンジンがセットになったコンテナは十坪ほどしかなかったのではあるまいか。その周辺に変電設備が備え付けられるから、サイトはそれよりずっと広いけれど、それでも製鉄所やセメント工場に比べればちっぽけなものだ。

しかし、日本でコンテナにパッケージした発電機を船に乗せ、アルジェの港に降ろし、それから大型トレーラーに積んで、アトラス山脈を越え、砂漠の一本道——いや、何本も道は走っているけれど、サハラはあまりに広大で十字路もなければ並走する道も見えないので——をゆっくりと、何日もかけて運んでくるのだ。そして、コンクリートの基礎工事を済ませたオアシスの一角に、遠路遥々日本から運んできた発電装置一式の入ったコンテナを設置するのである。

こうして当時のことを思い出していると、あの発電機たちは今どうしているだろうかと思う。ブザレアの事務所に設置してあった壁一面の書棚には、何十巻もの図面と契約書を収めたファイルが並んでいて、そのなかにはメンテナンス契約書も含まれていたはずだ。しょっちゅう砂嵐の攻撃を受けているあのディーゼル発電機のコンテナたちが、ソネルガスのスタッフたちだけでちゃんと保守管理されているとはとても思えない——申し訳ないけれど。

あのときは、発電コンテナの設置工事の真っ最中だったから、遠い先のメンテナンスや保証期間のことなど考える余地もなかった。目先の工事のことで精一杯だった。そして、どんな工事、どんな作業であったとしても、物事は想定どおり、計画どおり、図面どおり、完璧に進むことなどありえない。ましてや、砂漠のど真ん中での工事である。そして、現在進行形の現場は数カ所、サハラの奥地に点在している。現場同士の距離は百キロ単位で離れている。その各現場から毎日のようにというのは大袈裟であるにしても、少なくとも一週間に一回は、急遽部品や資材を調達してくれという依頼が入ってくる——電話はこちらからかけるとなかなかつながらないのだが、どういうわけだか、現場からだとつながるのである。

現場からの依頼は、あるときはボルトだったりする——直径何ミリ、国際規格の通し番号を添えて。こういうときはラムダニの出番である。すぐにアルジェで一番大きい金物店——カミュの生まれ育ったベルクール地区にあった——に連れて行ってくれる。

あるときは鋼材であったりした。さすがにL型鋼とかH型鋼になると、金物屋には売っていないから、ソネルガスに依頼書を発行してもらって、空港の少し先にある鋼材置き場から、サハラの現場へ直送してもらうことになる。
ときには現地調達できないものもある。たとえばバルブ。ディーゼルエンジンへの燃料供給ポンプの油量調節バルブが不調になったことがある。こういうのは日本から送ってもらうしかない。しかも急を要するから、近く東京の本社からの出張してくる技術者の「手荷物」扱いで持ってくるという。

そして、その技術者をブーメディアン空港に迎えに出て声を失った。乗客の荷物を循環させるベルトコンベアに乗って顔を出した「手荷物」の大きさにほとんど驚愕したのである。出張者の「手荷物」扱いで、大量の書類や部品が送られてくることは、それまでも何度かあった。たいていは段ボール箱かプラスチックのケースか何かに入って送られてくる。そのときでさえ、これはもう「手荷物」じゃないよねと高野と笑ったものだったが、今回は一辺が一メートルほどの木枠に納められていて、中身が見える。灰色のペイントが塗ってある鋼鉄製の油量調節弁。重さは百キロは大げさだとしても、数十キロはあったのではなかろうか。男一人の力ではびくともしない。なんだこれは?

そもそも成田で、日本航空がよくも載せたものだ。重量超過の料金を払えば、なんでも通るのか。そして、シャルル・ド・ゴール空港で、どうやって日航の便からアルジェリア航空の便に乗り換えることができたのか?

唖然としたのは、出迎えに出た高野と私だけではなかった。ブーメディアン空港の税関職員は、最初のうちは呆れ顔だったが、それでもそこをなんとかと粘る日本人相手に次に堪忍袋の尾が切れ、正規の輸入手続きを経ないとこんなものは通せないと言い放って税関事務所に立てこもってしまったのだ。

ごもっともです。これまでも、ちょっとした「お土産」で無理難題を呑んでもらっていたわけで、その挙げ句の果てに、百キロもの鋼鉄製のバルブを「旅行者手荷物」として通してくれと言っても、それは虫がよすぎますよね、わかります……。
しかし、それではこちらの仕事にならないのである。サハラのオアシスの発電機は止まったまま動かない。こうして空港への日参が始まった。正規の輸入手続きを取っていたんでは通関するのに何日かかかるかわからない。現場ではすぐにほしいのである。税関吏の機嫌が治るまでに一週間かかっただろうか、十日かかっただろうか、はたまた一カ月かかったろうか。さすがにもう忘れてしまったけれど。

ただ憶えているのは、これはもう通訳の仕事じゃないだろうと思ったこと——高野が忙しいときには通訳一人で行動することもあった。税関吏があまりに頑固なので、いっそのこと土下座しようかと思ったくらいだが、土下座が通じるのは日本だけだろうと思い直した。そもそも、なんでF電機の社員でもない通訳がぺこぺこしなければならないのか、憤懣やるかたなかった。