2 – 5(昼食は、商社Mの独身寮で……)

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昼食は、商社Mの独身寮で食べた。ブザレアの事務所から車で十分ほど走ったところにエルビアールという街区があって、その住宅街の一角に独身寮はあった。お昼になると、近くのモスクの尖塔に備え付けられたスピーカーから「アッザーン」の祈りが響き渡った。日本人の若いコックがいた。金を貯めて、日本でフレンチの店を出すと言っていた。実現したかどうかはわからない。

この寮には十数人の若手社員が寝泊まりしていたから、かなり広い住宅だった。一階のサロンにはテレビやカラオケ装置が置いてあり、歴代の独身社員が置いていったたくさんの本が棚に並んでいた。

そのなかに横光利一の『旅愁』があった。

誰が置いていったのか、何年前に置いていったのか、それはわからない。

「あの、これ借りていっていいですか?」と言って、表紙のよれた文庫本を見せると、「いいんじゃない、その手のもの、だれも読まないから」と身も蓋もない。事実、寮の本棚にある本のほとんどがエンタテインメント系の本だった。読み捨てにされた本たちのなかに、横光の『旅愁』も含まれていた。

本は週末にしか読めないが、一気に読み切った。そう、まさに砂が水を吸い込むように。とにかく、日本語の本、活字に飢えていた。たぶんそれだけではなかっただろう。地中海の向こうのヨーロッパへのあこがれのような、欲求不満のようなものが、小説に描かれている場面、風景、登場人物とぴったり重なり合ったのだろう。

 

そして、あれから半世紀近くの歳月が流れた今、自宅の書棚からそっと『旅愁』を取り出してみる。もちろんアルジェの独身寮にあった文庫本ではなく――それは鄭重にお礼の言葉を添えて寮の本棚に戻した――、高校時代に買い求めた、箱もグリーン、表紙もグリーン、横縞の入ったビニールカバーも薄いグリーンの日本文学全集、そのうちの一冊。

十数ページ読んで、本を閉じる。

違う。ぜんぜん違う。よみがえってくるものが何もない。あのホテル・マザフランの七階の、燦々と日の光が照りつけるテラスにデッキチェアを引っ張り出して読んだときの至福の時間のかけらもない。郵船がマルセイユに着いて、そこから列車でパリに向かう。その途中の田園風景がえんえんと描写されている、はずだった。でも、その車窓の風景はたった数行で終わってしまう。たぶん、パリから南ドイツのチロルへ向かうあたりの場面と混同しているのだろう――あるいは別の小説と。

いや、混同してがっかりしているのではない。

小説の神様ともてはやされた作家がほとんど命がけで書いた大長編――たしか文庫版では上下巻になっていたはずだ――、戦争前と戦争後に二度にわたって断続的に書き継がれ、そして精魂尽き果て、作家は五十歳を越えることができなかった。

戦艦大和。日本の命運を一身に背負って船出した超弩級戦艦は、無数の戦闘機の攻撃を浴びてあっけなく海の骸となった。

静かに海底で眠らせてあげたらいい。

 

アルジェには『旅愁』のヒロインみたいな女性がいた――とりあえず、ここでも千鶴子さんと呼んでおこう。

芸大か、どこかの音楽大学を出た人だった。どうして商社マンの妻になったのかと思うほど、ピアノが達者だった。そう、彼女はわれらがプロジェクトの契約当事者として全体をまとめる商社Mの担当責任者の妻だった。

彼らの借家にはアップライトのピアノがあった。もちろん――と言っていいかどうかわからないが――アルジェで調達したものではない。日本から船で運んできたものだ。そのことは統括責任者の西村から直接聞いた。それが千鶴子さんの夫の苗字、すなわち彼女の苗字だった。

一度――あるいは二度――われわれブザレア事務所の三人組が西村邸に招かれ、夕食をごちそうになり、麻雀に興じたことがある。私は麻雀ができないから、ほかにも招待客がいたのだろう。そうでなければメンツが揃わない。

で、この新米通訳が何をしていたかというと、サロンのソファにどっかりと腰を下ろし、出張者が持ち込んできた免税のシーバスリーガルかジョニーウォーカーをちびちびというよりは、ぐびぐび飲みながら千鶴子さんのピアノに耳を傾けていたのである。

ラヴェルの「パヴァーヌ」とかドビュシーの「月の光」とか。おそらく、フランス語の専門家だと思って――あるいは勘違いして――こちらを気遣ってくれたのだろう。でも、あまり乗れずに気のない拍手を送っていた。しこたまウィスキーを飲んでいるし、隣の部屋からは麻雀牌をかき回す音が聞こえてくるし、とても音楽をじっくり聴く心境と環境ではなかったのだ。千鶴子さんの演奏がよくなかったのではない。でも、そういう気配は演奏者に伝わるものだ。彼女は鍵盤から手を離し、振り返った。

「高橋さん、フランス音楽はあまり聴かないんですか?」

「いや、聴かないってこともないんですが、そんなに聴かないかな……」

当時はほとんど聴かなかった。正直に言えば、避けていた。サティなんて名前さえ知らなかったし、今では睡眠薬がわりに聞くようになったラヴェルのピアノにしても、なぜか敬遠していた。

「じゃ、なにかリクエストあります?」

虚をつかれて、言葉を失い、その代わりにグラスに残ったジョニ黒を飲み干した。

「幻想即興曲」

完全に酔っ払っていた。記憶のどこからこんな曲名が立ち上ってきたのか。千鶴子さんは無言で鍵盤のほうに向き直り、少し怒り肩で弾きはじめた。左手で繰り出される冒頭の六連符が波のように打ち寄せてきたとたんに後悔した。すいません、まちがえました、別の曲にしますとは、もう言えない。酔いはさらに回った。五分の時間は拷問のように長く、そしてあっという間に過ぎた。

拍手、二つか三つ。それ以上、手が動かない。

「すいません、最近この曲弾いてなくて……」

たしかにミスタッチは多かった。二つか三つの拍手しかできなかったのは、そのせいではない。むしろ感動していたからだ。酔っていることを差し引いても。ショパンは十代の終わり頃、浴びるほど聴いた。マウリッツオ・ポリーニがデビューしたばかりのころだった。今――これを書いている今――はもう聴かない。

「もういいです。僕だけのために何曲も……。こっちに来て飲みましょう」とちゃんと言えたかどうか、記憶はすっ飛んでいる。

たくさん話したと思う。なぜなら、麻雀は一時間や二時間では終わらないから。その間、彼女と二人きりでずっと話をしていた。でも、完全に、何も憶えていない。

憶えているのは別の夜のことだ。スズランの匂い。

二人は――千鶴子さんと私のことだ――、タクシーに乗ってどこかに向かっている。どこから乗ったのかも憶えていない。ラムダニのタクシーだったかどうかも憶えていない。なんで二人きりでタクシーに乗っているのかも思い出せない。

ふと気づくと、ほのかな香水のかおりが車内にただよっている。

「あ、スズラン」

「あ、わかります?」

おい、タクシーよ、どこへ行く? おい、記憶よ、どこまで走っていくつもりだ?

 

西村は小柄だったが、いつも仕立てのいいスーツを着ていた。小さな顔に細い金縁のメガネをかけていた。鼻筋が通っていて、レンズと眼球のあいだに距離があった。微笑むと薄い唇が横に伸び、シニカルになった。エル・ビアールの寮の近くに商社Mのオフィスがあって、彼の部屋に顔を出すと、いつもパーカーのボールペンで書類を書いたりサインをしたりしていた。ときには現地雇いの秘書に口述筆記をさせていた。

この西村を高野は蛇蝎の如く嫌っていた。

もちろん、どちらも大人だから一緒に食事もすれば、麻雀もする。しかし、叩き上げで、成り上がり、いわばノンキャリア組の高野にとって、京大卒で流暢で上品なフランス語をしゃべり、美しい音大卒の奥さんを伴侶とし、贅沢な一軒家を借り、ピアノを日本から運ばせ、シトロエンを乗り回している西村の前に出ると、敵愾心が否応なくむくむくと湧き上がってくるのだろう。

そつのない日本語、真っ白なワイシャツ、品のいいネクタイ、一点の曇りもないメガネ、人を小馬鹿にしたような笑み、けっして傲岸不遜ではないが、下手をすると慇懃無礼とも受け取られかねない立ち居振る舞い。

高野はその真逆とは言わないまでも、あっけらかんとして率直、金はないけど三代つづく江戸っ子の家柄が自慢で、スーツだってちゃんとしたのを着ているし、西村より背も高いのだが、いかんせん少し猫背で、毎日朝方まで酒を飲んで寝不足なのでネクタイが曲がっている。気障や気取りが一番嫌いというところで、西村とはどうしようもなくそりが合わなかった。あるいは気後れを懸命にはったりでカバーしていたとでも言おうか。

もうひとり西村を嫌っている男がいた。

さっきから名前を必死で思い出そうとしているのだが、出てこない。彼はパリに十年近く住んでいて、アルジェリア各地に点在している現場を立ち上げるときや、忙しくなったりしたときに、いわば助っ人としてパリから駆けつける臨時雇いの通訳のひとりだった。スポットの現場通訳として、効率のいい小遣い稼ぎをしている日本人が当時はけっこういた。一年間の滞在で、そういうパリ在住の日本人と何人も知り合いになった。

そのなかでも彼は――ああ、名前が出てこなくて残念だが、だれにも気づかれるはずもないのに架空の名前を使いたくないという気持ちが働くのはどうしたことだろう――特異だった。

彼はゲイだった。そういうと、LGBTの権利擁護の声が大きくなった今では、ゲイのどこが特異なんだと突っ込まれそうだが、そのとき生まれて初めて@本物の{傍点}同性愛者と出会ったのである。

本物の、を強調したのにはわけがある。彼は同性愛的傾向があるというだけのことではなく、パリで男性パートナーと同棲していたからである。相手はパストゥール研究所に勤務する初老の研究員だった。彼が「ホモ」だというのは、通訳仲間の噂で知っていた。でも、相手が誰かまでは知らなかった。夏休みでパリに出たとき、彼の住まいに一泊させてもらい、そのときパートナーを紹介されたのである。何区だったかは忘れたが、パリには珍しいガラス製のオートロック・ドアで、現代的なアパルトマンだったことを覚えている。キッチンがオール電化だったことも。

でも問題は、なぜ彼が西村を嫌っていたのか、である。たんにタイプではなかったということかもしれない。でも、もっと端的でわかりやすい理由があった。西村の話すフランス語が嫌いだったのだ。

「あんなの、候文じゃない。聞いてて気持ち悪いよ」

というような悪口を何度耳にしたことか。学校の優等生のフランス語、というようなことも聞いた。では、そういう当人のフランス語はどうか。まぁ、よくしゃべる。早口である。トーンが高い。C’est con ! (バカ!)を連発する。ラムダニがこっそり「オー・ラ・ラー!」とぼやいていた。

まぁ、いいじゃないの、人それぞれだから。