3 サハラ——(われわれのプロジェクトの建設現場があるオアシスは……)

 

われわれのプロジェクトの建設現場があるオアシスは全部でいくつあったのだろう。思い出そうとすると、芋づる式にたくさんのオアシスの名前が脳裏に浮かび上がってくる。アルジェに近いほうから挙げていくと、エルウェッド、ワルグラ、エルゴレア(エルメニア)、ティミムン、アドラール、インサラー、タマンラセット、ジャーネット……。実際にディーゼル発電所が新設されている現場と増設もしくは改修工事が行われている現場とさまざまあって、今となっては正確に思い出すことができない。

サハラの現場視察には都合二回同行した。けれども、すべての現場を訪れたわけではない。とりわけ最後のタマンラセットはサハラ砂漠の深奥部にあって、アルジェから約二〇〇〇キロほどの距離がある。現場視察には飛行機で行くことがほとんどで、ついに現地を訪れることはなかった。

後年、テレビに映し出されたタッシリ・ナジェールの洞窟壁画を目にすると、無理やり休暇でもとって、まだサハラ砂漠がサバンナだったころの野生動物や人間たちの狩猟や舞踏の姿を見に行けばよかったと思うことがある。

でも、そう思うたびに、そんな余裕はなかったじゃないか、毎日毎日がぎりぎりだったじゃないかと思い直す。

カメラは持っていかなかった。日記をつけることも、メモを取ることもなかった。毎日、完全燃焼と言えば聞こえはいいが、夕食にワインを飲んで、そのあと部屋で高野とウィスキーを飲んで、寝てしまう日々がずっと続いた。最初のうちは一週間で十時間くらいしか寝ていなかったんじゃないだろうか。

それが幸福だった。

前線に送られる兵士、死地に赴く兵士。その悲惨、その理不尽、その不条理を強調することに、戦後生まれのわれわれは慣れ親しんで育った。でも、それはもしかしたら違うのではないか。人は大義があれば死ねる。大義がなくても死ねる。人間は死なんて怖くないのだ。群れから外れることのほうが怖いのだ。というふうに年齢とともに考え方も変わってきて、悲しいことに人間であることが誇らしくなくなってくる。

 

サハラの砂漠化は、人間の遊牧生活の拡大とともに始まったという説がある。最初にその説を耳にしたのは、通訳の助っ人としてパリからやってきた日本人からだった。私より一回りほど年上で、小柄で機敏、パリに長年住んでいる人だった。仕事が終わってホテルに引き上げ、食事をしてから、どちらかの部屋のテラスでウィスキーを飲みながら、おしゃべりしているうちに無性に腹が立ってきた。このフレンチ・エコロジスト野郎めとまでは思わなかったが――エコロジストという言葉はまだそれほど普及していなかった――、多数ある仮説のうちの一つに過ぎないものを、揺るぎない科学的真実のように得々と語る人がどうにも苦手なのである。

そもそも、アメリカ合衆国とほぼ同じくらいの面積のある土地が、たとえ何十万頭もの羊がいっせいに草を食んだとしても、それで草がなくなり、森や林が消えていくなんてことがありうるだろうか。

当時はそう思ったが、さすがに今は違う。もっと素朴に、長い鞭を持つ牧童に追われるがままに広大な草原地帯の草を無心にむしゃむしゃ食べている羊の群れと、極地の海でゆっくりと崩れ落ちていく巨大な氷塊の映像とが、遠い記憶の底で入り混じる。

じつはこんなことを思い浮かべているのは、F電機の東京本社からプロジェクトの本部長である専務さんがサハラの現場視察のためにやってきたときに話したことと重なるからである。

その日――つまり、専務さんがブーメディアン空港に降り立つ日――、所長の坂口は朝からそわそわしていた。そわそわしているだけでなく、ぴりぴりもしている。朝から高野を怒鳴りつけてばかりいる。これはいつものことではあるけれど。

視察の対象には、もちろんブザレアの事務所も含まれるから、事務所の責任者としては緊張するのが当たり前ではあるけれど、それに加えて坂口自身もサハラの現場に出向くのは初めてだったから、余計に緊張していたのだろう。

高野と私はブーメディアン空港まで専務を迎えに行き、まずはブザレアの事務所に案内すると、彼はショルダーバッグのなかから、赤い包装紙に包まれた箱を取り出した。お土産だという。崎陽軒の焼売だった。どこで買ったのだろう。成田か? たぶんそうだろう。でも、どうして崎陽軒の焼売なのか。事務所には小さなキッチンがある。もちろん、ホテルの部屋にはない。事務所でご飯を炊いて、お湯を沸かしてレトルトの焼売を温めて食べろということなのだろうか。そもそもあれはレトルトだったかどうか。いずれにせよ、とてもおもしろい専務さんだった。

どういうわけだか、その日の夕食は盛り上がった。新米通訳の私もすでに着任してから半年が経過して、少なくともホテルでの夕食の説明くらいはすらすらとこなせるようになっていた。専務さんが来る前に、もう何十人もの職人さんがやってきては、このホテル・マザフランでたらふく食べ、好きなだけ飲んでもらって、翌日にはサハラの現場――地獄とは言わないけれど――目指して旅立っていった。そのときの接待役も通訳の大切な仕事なのである。少ないときで数名、多いときで二十名ほどの職人さんたちがホテルのダイニングルームのテーブルに、最後の晩餐よろしく雁首を並べて腰掛ける姿はなんとも異様である。なかには腰掛けるのが苦手だからといって、肘掛け椅子の上であぐらをかく人もいる。そういうときはやんわりと、このホテルはこう見えても高級リゾートホテルなので――少しは大げさに話を盛って――、いちおう最低限のマナーを守ってもらうことになってますとか、相手を傷つけないように諭さなければならない。それから、フランス語で書かれたメニューの最初から最後まで、日本語で説明していく。それから一人一人順番に何を食べるか聞いていく――手にメモを持っていたかどうかは記憶にない。途中まで行くと、必ず、あ、おれ、さっきのやめて、そっちにするというような声が上がるので、頭のなかで注文リストと数を修正していく。そして、ギャルソンを呼び、注文する料理の名前と数を伝えていく。この間にも、あ、やっぱりおれ、違うのにするとかいう声が上がる。すると機敏に修正して、ギャルソンに目配せのようなウィンクのようなものを送る――最後にはチップも多めに置いていく。

いくら本社のお偉いさんであっても、相手が一人なら、どうってこともない。

「このホテルじゃ、何がうまいのかね」

「さあ、とくにうまいものはないんじゃないでしょうか」

「じゃ、何を食べればいい?」

「そうですね、エスカロップなんかが無難なんじゃないでしょうか。中身は牛肉ですが、トンカツに近いので」

「わかった、じゃ、それにしよう」

というような具合である。

「付け合わせを選ばなければならないのですが、マッシュド・ポテトとフライド・ポテトとインゲンのソテーの三種があります」

「どれがいい?」

「マッシュド・ポテトはお勧めしません。味も香りもありませんから。すりつぶした芋をオリーブオイルでのばしただけです。インゲンのソテーもどうしてこんなにくたくたになるまで炒めるのか、日本人の口には合わないと思います。残るはフライド・ポテトだけということになります」

「わかった、そうしよう」

「ワインはお勧めのがあります。キュヴェ・デュ・プレジダン、つまり大統領の酒蔵という名の赤です。ボルドーがブレンド用に樽買しているということです。高野さんから教えてもらいました」

と、ところどころで高野に花を持たせる。坂口は直立不動の姿勢を崩さない。

「ま、それは任せよう。でも、少々喉が乾いているんだ。最初にビールが飲みたいな」

「ビールはアルジェリア産の一種類しかありません。ただし、当たり外れがあります。王冠はきっちりはまっているのに気の抜けているのがあります。ときとしてゴキブリが入っているのもあります。これはその場で替えてもらうことができます、もちろん」

ものは試しだ、ということで、まずはビールで乾杯することになった。幸い、その日のビールはよく冷えていて、泡もちゃんと立った――と記憶している。

で、アルコールが適度にまわり、メインディッシュのエスカロップが運ばれてきたあたりで、専務さんがこんなことを言いだしたのである。

「サハラ砂漠ってのは魅力的なところだね」

「地下資源がですか?」

「いや、広さがだよ」

「広いだけなら、シベリアとかアマゾンとか、いろいろありますが」

「広いだけでなく、何にも生えてなくて、おまけにかんかん照りだろ」

「ええ、だから不毛の土地と言われます」

「そこだよ、そこ。何も生えないから不毛なのか? 地下資源はともかく、空から照りつける太陽、あれは不毛なのか? 太陽こそが命の根源なのではないのか?」

と、専務さん、急に哲学的なことを言い出したのである。砂漠を肥沃化するには時間もコストもかかるから、水耕栽培のようなことを考えているのかなと思っていたら、そうではなかった。

「サハラ砂漠に降り注ぐ、あの太陽の膨大な光と熱を電力に変換できないだろうか?」

大手の電機製造会社の専務さんが、こんなことを言い出したのである。坂口も高野の顔にも緊張が走り、テーブルの上に身を乗り出した。

「たとえばさ、利用されていない砂漠の一帯に太陽光パネルを敷き詰めたら、どのくらいの効率で電力エネルギーに変換できるか。そんなことを飛行機のなかでずっと考えてきたんだよ」

坂口は、それは壮大なプロジェクトになりますね、とか調子を合わせているが、高野は遠慮して口をはさまない。でも、私は気になることがあって、つい口をはさんだ。

「でも、それまで砂漠に降り注いでいた太陽の熱と光が電力に変換されたら、砂漠は冷えていきませんか?」

「うん、たしかにそれはそうだ」と専務さんは応じた。「太陽光パネルが太陽の光を取り込み、パネルの下に影を作る分だけ砂漠は冷える計算になる。それが砂漠全体に、ひいては地球環境にどんな影響を与えるか、だな?」

そのあとのことは忘れてしまったが、とにかく夕食の席は盛り上がった。地中海に沈む夕日に照らされながら、しかも話題が砂漠に及べば、いやでも人は少し狂う。

 

たぶん翌々日の朝――というのは、明確な記憶はないのだが、翌日はブザレアの事務所で専務さんは坂口と高野からプロジェクトの進捗状況について詳しい説明を受けていたような気がするので――、われわれは二台の車に分乗して、サハラ奥地の現場を目指した。日本から運び込んだリエゾンオフィス専用の白のライトバンとラムダニのタクシー。ライトバンには東京本社の専務と坂口が乗り込み、高野が運転した。タクシーには運転手のラムダニと私。もちろん、タクシーが先導するのだ。

タクシー一台に運転手含めて五人で二千キロのドライブが窮屈すぎることは言うまでもないが、タクシーに通訳一人だけが乗って、プロジェクトの専用車にF電機社員三名が乗ることになったのは、それしか組み合わせが考えられないこともあったが、車内で部外者には聞かれたくない話をしたいということもあっただろう――通訳の職能、働きぶりについての評価も含めて。それまでほぼ半年にわたって、F電機の社員同然の業務をこなしてきた通訳としては釈然としないものがあったなんてことはいっさいなかった。

前に遮るもののない砂漠の道を先頭を切って走れるなんて、こんなゴージャスな体験は正真正銘、一生に一度きりではないか。それに毎日同じ顔ぶれで仕事をしてきたのだ。朝食も夕食も、基本的にはホテルのダイニングルームの同じテーブルで、三人そろって食べる。いくら仲が悪くても角突き合わせるようにして食事をするわけではないが、さすがに半年も毎日同じ顔ぶれでの食事が続くと当然のことながら飽きてくるし、煮詰まってもくる。

その日常から一気に解放されるのだから、行き先がサハラ砂漠でなくとも興奮する。