3 – 4(精神の否定そのものである真実が生まれるために……)

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精神の否定そのものである真実が生まれるために、精神の死ぬ場所がこの世にはいくつかある。僕がジェミラに行ったときには、風があり、陽が照っていたけれど、それはまた別の話だ。最初に言うべきことは、そこにはひび割れのない――釣り合っている天秤のような――重く大きな沈黙が支配していたということだ。

 

これは『結婚』の第二章にあたる「ジェミラの風」の冒頭。

ジェミラとは、チパサと同じようにユネスコの世界文化遺産に指定されている古代ローマ遺跡のある小さな村の名だ。この村には行きそびれた。アルジェから帰ってしばらくして、またもやアルジェリアに舞い戻り、ジジェルという東部の地中海沿岸の町で飯場暮らしをしたことはすでに最初のほうで話したが、そのジジェルの現場で働く職人さんたちから、近くにローマの遺跡があるから、今度の日曜日に行ってみないかと誘われたのである。でも、断った。近くといっても、海岸から山のほうに五十キロほど登っていったところだし、どうせ通訳させられたりするのだ。日曜日にまで働きたくなかった。

この章でカミュは、二千年前に建てられたローマ帝国の植民都市の遺跡を前にして、「肉体の真実」というテーマを、なにかしら悲痛な調子で変奏してみせる。死すべき肉体こそが真実なのであって、来世とか永遠の生という「観念」をかたくなに拒否する。

 

この世のあらゆる「いずれまた」を僕が執拗に拒絶するのは、とりもなおさずそれはこの今という豊かさを手放したくないからだ。死がもうひとつの別の生に開かれていると信じることは、僕にはおもしろくない。僕にとって死は閉ざされたドアだ。それは踏み越えるべき一歩だなどと言っているのではなく、ぞっとするほどおぞましい偶発事だと言っているのだ。ここで僕に差し出される一切は、人間からその固有の生の重みを取り去ろうとしてくれるものばかりだが、とりわけジェミラの空を舞う大きな鳥のゆったりと重い飛翔を前にして、僕が呼び求め、手に入れるものこそ、まさにある種の生の重みなのだ。……僕のなかには若さがあふれているから、死について語ることはできない。でも、どうしても語らねばならないのであれば、恐怖と沈黙のあいだで、希望のない死の自覚をうながす適確な言葉を、この場所でなら見つけられそうな気がする。

 

カミュの揺れる独白はやがて――もうじき、ほぼ一年後に――ムルソーという肉体を備えた人物に結実する。でも、このエッセイ集の核心をなす「肉体の真実」というテーマの変奏は、「アルジェの夏」を経て、最終章の「砂漠」で思いがけない展開を見せる――と前に書いたが。その冒頭はこう書き出されている。

 

生きることは、もちろん、表現することとはずいぶん違う。トスカナの巨匠たちのいうところを信じるならば、それは沈黙と炎と不動のなかで三度証しを立てることだ。

 

トスカナの巨匠たちとは、読み進めていけばわかるように、チマブーエやジオットのような、イタリア・ルネサンスの黎明期というか中世末期というか、そういう時代に生きた画家たちのことを指している。のっけから「沈黙と炎と不動のなかで三度証しを立てること」と書かれても面食らうが、中世の教会や修道院のために制作した画家たちにあっては、まず信仰が先にあって、絵は二の次だったという意味だろう。

でも、思いがけない展開と言ったのは、こういった虚を衝く書き出しのスタイルではなく、いきなり場面がイタリアのトスカナ地方に飛んでしまうことだ。そして「砂漠」というタイトルが与えられていながら、砂漠はいつまでたっても出てこない。チパサ、ジェミラ、アルジェと続けば、次はサハラだろうと誰しも思う。でも、その予想は裏切られる。

 

彼らの作品のなかに描かれた人物たちを、今のフィレンツェやピサの街路で毎日出会う人々のなかに見出そうとすればかなり時間がかかる。でも、そんなことを言うなら、われわれには自分の身の回りにいる人々の本当の顔など、とうに見えなくなっている。われわれはもはや自分と同時代を生きる人々を見つめたりはしない。そこに自分の方向づけに役立つものや自分たちの行動を決めるものを見つけようとやっきになっているだけで、顔そのものより、もっとも卑俗な意味での詩情のほうを好んでいるのだ。でも、ジオットやピエロ・デラ・フランチェスカの場合は、人間の感受性など何ほどのことでもないことをよく知っている。

 

ここでカミュは、中世の――あるいは初期ルネサンスの――聖人画、聖画像といったものを通じて、絵画の真実に触れようとしている。いや、絵画の真実というよりも、まさにここで「肉体の真実」の主調音を響かせていると言ったほうがいいだろう。日々の営みのなかで、われわれの最大の関心事は人情であったり、心の機微に触れる何かであったり、あるいは、こいつは自分の敵であるか味方であるか、愛しているか、愛していないか、といった利害のからんだ人間関係にまつわる事柄である。でも、大切なものは「真実」であり、画家だけがその真実に対するわれわれの飢えを満たしてくれる。なぜならば、画家は「肉体の小説家」になる特権を持っているから、と続ける。

 

彼らは微笑みも一瞬の恥じらいも、悔恨や期待も描かない。ただ、浮き彫りになった骨と熱い血をとおして顔をとらえる。永遠の線のなかで硬直しているこうした@面{おもて}から、精神の呪いを一掃してしまったのである。そのために希望まで失われたとしても。なぜなら、肉体はそもそも希望を知らないからだ。それは血の拍動しか知らない。肉体に備わる永遠は無関心からできている。

 

ここでわれわれは「肉体の真実」から派生する副主題といったものに出会う。それは言うまでもなく「無関心」だ。そして、それはムルソーというヒーローが誕生する母胎であり、カミュという作家を死に至るまで導いたテーマでもある。この「無関心」の最たる例として、彼はピエロ・デラ・フランチェスカの「キリストの鞭打ち」を取り上げる。

これは謎めいた作品として、つとに有名な作品だが、まず第一に「キリストの鞭打ち」と題されていながら、その場面は画面の左奥の遠いところに描かれていて、右側の前面には三人の男たちが互いにてんでの方向に視線を向けながら立ちはだかっている。奇妙なのは構図だけでなく、前景に大きく描かれた三人の男たちにしても、左奥の鞭打ちの刑にかかわっている五人の男たち――キリストその人も含めて――にしても、まったく無表情であるか、こちらに背を向けているか、どちらかだということだ。カミュは détachement という言葉を使っている。無関心とも無頓着とも訳せるし、超然としているとも、離脱しているとも訳せる。いずれにせよ、この三人の男が自分たちの背後でおこなわれている聖者に対する拷問に何の関心も払っていないことは歴然としている。それどころか、鞭打たれているはずの聖者は苦悶の表情を浮かべることもなく平然と――というよりは、ぼんやりと――処刑者のほうに目をやっているし、右手を挙げて鞭打たんとしている男の後ろ姿からは力感さえ伝わってこない。

ところで、ピエロ・デラ・フランチェスカは、カラヴァッジョと並んで二十世紀における美術史上の最大の発掘と言われているだけでなく、セザンヌの先駆けという評価もある。もちろん、こんなところで美術史家の評価を持ち出してきても意味はないけれど、「生きることは、もちろん、表現することとはだいぶ違う」というこのエッセイの書き出しに戻ってみることには意味がある。

セザンヌの描く人物には表情がない。モデルになった夫人が少しでも動くと「リンゴが動くか」と諫めたというくらいだから、むしろ表情などにはなんの興味もなかった。人であれ、静物であれ、風景であれ、「そこにある」ことの、「ただ生きている」ことの重み、奥行きこそ、彼が死ぬまで追い求めた「もの」であり、「モチーフ」だった。

生きていることには、言うまでもなく感情がともなう。悲しみがあり、喜びがあり、怒りがあり、憎しみがある。望みが絶たれれば、死の淵に誘われることもある。けれども人は生きる。生きてきた時間が彼を支えている。表情とは表面である。でも、それは仮面ではない。表に現れているのは、現在にいたる時間の堆積と重みであり、少なくともセザンヌはそれを掘り起こそうとした。

そのことが不思議なことに、彼の作品を「聖なるもの」にする。カード遊びに集中する男の横顔、その「無表情」、あるいはセザンヌ夫人の「仏頂面」、死の直前まで甲斐甲斐しく画家の世話をした庭師の、無表情どころか、帽子を目深にかぶって目さえ見えない顔、まるで水彩画のように淡く彩色され、朗らかに軽やかに歌っている背後の樹木とあたりの空気に包まれた肉体。

ムルソーの顔はわれわれには見えない。なぜなら、語っているのがムルソーだから。ムルソーは歩く。母の棺を載せた荷車のあとを追って、かんかん照りの野原を歩く。日曜の夜、じっと街路に目を注ぐムルソー。卵を焼くムルソー。港を通り抜けるトラックを追って全速力で走るムルソー。マリーと連れ立って浮身をするムルソー。働くときは働くムルソー。彼は涙を見せない。笑いもしない。怒りにかられることもない。憎しみから人を殺したわけではない。太陽のせいかどうかは別にして。

ジオットやピエロ・デラ・フランチェスカには神様の後ろ盾があった。セザンヌにもムルソーにも、もはやそういう後ろ盾はない。じかに自然と向かい合うほかはない。あるいは神も自然も、人間の命名にすぎないと言うべきか。

カミュはこのエッセイ集を上梓する二年前の一九三七年に、彼自身が「世界をのぞむ家」と名付けた共同生活の場に参加した女性たちとともにトスカナ地方を旅行している。このときの、まだ真新しい思い出を紡ぎながら――サンチシマ・アヌンツィアータ教会の死者をまつる列柱廊で見かけた墓碑銘のこと、ドミニコ修道会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の遅咲きの薔薇、フィエゾーレのフランチェスコ派修道院の中庭に群れ集っていた黄色と黒の蜜蜂と真っ赤な花、瞑想のために僧房に置いてある髑髏、近親相姦を暗示する落書きについて語りながら――、こんな言葉にたどり着く。

 

これほど純粋な風景は魂にとっては潤いを奪うものであり、その美しさは耐えがたいものとなる。この石と空と水の福音書のなかでは、なにも蘇えらないないのは必定だ。こうして、この心のなかの壮麗な砂漠の深奥で、この地の人々への誘惑ははじまる。

 

ここで初めて、砂漠という言葉が登場するわけだが、鮮やかな緑と赤と黄色と黒で彩られたトスカナの風景と、文字どおり広漠とした砂地だけが広がる砂漠とがどうしてここで結びつくのか、なんど読み直してもわからない――ここにはニーチェの影響があると説明されたとしても、わからない。彼はフィレンツェに入り、ピッティ宮の裏手に広がるボボリ庭園の小高い丘にまで登っていく。フィレンツェの街とオリーブや糸杉の林を取り巻く丘陵を眺望できるその高台の上に立ち、トスカナの秋の空と風のなかで、彼は啓示のようなものに打たれる。

 

無数の目がここの風景を見てきたことくらい知っていても、そのときの僕にとっては空の最初の微笑みのように思えたのだ。それは、語の深い意味で、僕を僕の外に連れ出してくれた。僕の愛と、この美しい石の叫びがなければ、すべては無益であることを確信させてくれた。世界は美しく、その外に救済はありえない。ここの風景がしんぼう強く教えてくれる大いなる真実とは、精神など何ものでもない、心さえも何ものでもないということだ。さらには太陽に熱せられた石や、開かれた空に吸い寄せられるように伸びていく糸杉によって画定された唯一の宇宙のなかでは、「理に適う」という言葉があるひとつの意味を帯びてくることも教えてくれる。すなわち「人間のいない自然」ということだ。

 

言葉が糸の切れた凧のように空高く舞い上がっている。比喩にしても飛躍が大きすぎる。イタリアのどこを訪れても、フランスのどこを訪れても、「人間のいない自然」などない。未開の土地、未墾の土地は、ヨーロッパにはない。あるとすれば、それは耕せない荒地か山岳地帯だけだ。そんなふうに断言できるのは、日本もまた同じだからだ。文化、文明とはそういうものではないのか。

耕作できる土地は次から次へと耕され、それが中世のローマ・カトリックに豊穣をもたらした。その豊穣のなかで、生まれたばかりのフィレンツェの銀行家たちは繁栄を謳歌した。ルカ・ピッティもコジモ・デ・メディチも、その子孫たちも。そしてルネサンスの画家たちもその恩恵に与った。

そんなことをカミュが知らぬわけがない。

そして、彼は最後に、天才的詩篇を惜しげもなく捨てて砂漠に旅立った伝説の詩人――こんな神話がいつまで生き残るかわからないけれど――アルチュール・ランボーを登場させる。

 

かりにランボーがアビシニアで一行も書かずに死んだとしても、それは冒険心によるものでも、作家になることを断念したからでもない。それは「そうなるしかなかったから」であり、意識がある点にまで達すると、われわれはみなおのれの天性の資質に従って、この世には理解しないように努めなければならない事柄があると、ついには認めることになるからだ。言うまでもなく、大切なことは、ある砂漠の地理学を企てることなのだ。でも、この奇妙な砂漠は、おのれの渇きをごまかすことなくそこで生きられる人以外には感じられないものだ。そのとき、そしてそのときだけ、砂漠は鮮烈な幸福の水で満たされる。

 

ランボーはアビシニアの砂漠で一行も書かなかったわけではなく、おびただしい手紙を母や妹に宛てて書き、ときには何かの特許を取って一生左団扇で暮らすために、怪しげな技術書を何冊も現地まで送ってもらったりしているし、死んだ場所にしても――母の家に戻ろうとして戻ることができずに――、右脚を切断したマルセイユのコンセプシオン病院に舞い戻り、そこで死んだことなど書いても嫌みにしか響かないだろうが、カミュがここでランボーに触れているのは、たんなる砂漠からの連想ではなく、この詩人のなかに自分と同じ血脈を感じていたからだろう。人生のほんのとば口に立った時点ですでに言葉の――文字の、つまりは文学の――魔力に魅せられた人という意味で。

砂漠の彼方に立ち去った詩人を登場させることで、「肉体の真実」というテーマにどんな膨らみを持たせようとしたのか、それはわからない。「砂漠の地理学」というのもよくわからない。でも、たしかに伝わってくるのは、彼が懸命に何かを探し求めているということ、それを風光明媚な景色や、自分の生まれた街角に探しているというのではなく、もうすでに彼は発見しているのだ。生きることの真実のようなものを、彼は若さの絶頂でたしかにつかんでいて、しかし、それを容れる器が見つからない。時代の裂け目から誕生した新しい人間には新しい革袋が必要なのだ。

彼は「異邦人」という名の小説に至るまでに、おびただしい草稿とノートと試作を残している。それらのページをめくっていると、野心とか執着とかいう言葉よりも、宿命の二文字に翻弄されるギリシア神話のいくつかのエピソードを思い出す。

たどり着いた器が、なぜ小説でなければならなかったのか。それは彼の抱いた「真実」が硬直した概念のようなものではなかったし、香り高い美文によって造形されるべきものでもなかったからだ。海と太陽を合体させたメルソーという名の主人公から、アメリカから渡ってきたハードボイルドとの出会いを経て、死と太陽の化身としてのムルソーが誕生したとき、彼はまぎれもなく「肉体の小説家」となった。やがて、この『結婚』という小品集は『シーシュポスの神話』と題されたエッセイへと昇華し、小説『異邦人』と対をなす作品として読みつがれていくことになる。

戦争の終結を経て、彼は時代の寵児、流行作家として生まれ変わる。でも、その命は短かった。ノーベル賞を受賞したのちも長く生き延びた彼が、どんな人生を歩み、どんな作家になったかを想像することはできない。われわれに残されたのは、四十六歳で完結した生の姿だけだ。