3 – 5(そのとき、われわれはエルウェドのオアシスに……)

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そのとき、われわれ三人はエルウェドのオアシスに向かっていた。

その三人とは、運転手のラムダニ、坂口と通訳の私。このときは二回目の現場視察で、すでに高野はブザレアの事務所からいなくなっていた。季節の記憶はない。アルジェからいちばん近い現場――といっても四百キロくらいあるのだが――がエルウェドにあった。ディーゼル発電所建設プロジェクトの現場のなかでは、人口十万人くらいの規模を持つ大きなオアシスだった。

小高い山に小さな丸屋根をいただく石造りの建物が折り重なるようにびっしり建っているこの街は、サハラ有数の観光地としても有名だが、暗くなってから市街地に入り、朝早く現場に向かったから、街の記憶もほとんどない。泊まったホテルが平屋で、たくさんの部屋が迷路のような通路でつながっていて、しかも照明が暗い。だから発電所を建てることになったのか、そのあたりのことも遠い昔の記憶になってしまった。

なぜかラムダニといっしょの部屋を割り当てられ、彼が薄暗い部屋のなかでズボンを脱ぎ、ワイシャツだけになってベッド脇に立っている姿がなぜかよみがえってくる。

そして、興奮して眠れなかったことも。

 

エルウェドまであと二、三十キロ、そのくらいの地点だったと思う。なにしろ記憶が遠いうえに、サハラはあまりに広大すぎて距離がつかめない。ラムダニがあともう少しだと言った。砂漠に夕暮れがせまっていた。

フロントグラスから空を見上げると、青みが消えて、大気全体が薄いグレーに染まっている。大地も灰色、空も灰色、どこもかしこも灰色、でも透きとおっている。

真っ正面のやや斜め上に月が見えた。蒼白の月が、手を伸ばせば、ざらついたクレーターに触れられるのではないかと思うほど、近くに見えた。この月を照らしている太陽がまだ空に残っているはずだと思って、とっさに振り返ったが、車のなかから背後の空が見えるはずがない。後部座席には坂口がふんぞり返っているから、ラムダニに車を停めてくれとも言えない。

助手席の窓を全開にして、上半身を乗り出し、斜め後方にねじって、西の果てに目を向けた。

真っ白な太陽が、まだ悠々と地平線の上に残っていた。こんなに冷たい太陽は、後にも先にも見たことがない。月よりひと回り大きな岩石にしか見えなかった。そして今、われわれが車を走らせているこの大地も、緑と生命を剥奪された岩石なのだった。この三つの岩石はせめぎ合っていた。

太陽が地平に傾いてもなお白く発光する空間のなかで引き合い、斥け合い、張り詰めた三弦の均衡が見えたと思い、おうと叫んだか、ああと叫んだか。ラムダニが笑い、坂口が笑っていた。

 

ムルソーが盲いた夏は過ぎ、高野は胃潰瘍を患って帰国し、二度目のサハラへの視察旅行も終わったとき、アルジェに秋が訪れた。事務所のボスの坂口も遅い夏休みをとって帰国した。

バカンスシーズンのとうに過ぎ去ったホテルは、秋の深まりのなかで閑散としている。夏の日のコバルトブルーの海はどこにいったのか。まるでクールベの絵のように荒れている。

だだっ広いダイニングルームには、いつも数人の客しかいない。早めの時間に部屋から降りていくと、客がひとりということさえあった。若いギャルソンがマーガレットの一輪挿しを料理といっしょに持ってきてくれた。ひとりじゃ淋しかろうと。

夕陽が鉛色の地中海に落ちていく。

この海を渡れば、マルセイユに行けるんだな、エク=サン=プロヴァンスもアルルも目と鼻の先だよな。一年の契約が終わったら、@望郷{ペペル・モコ}の港からフェリーに乗ってマルセイユに行こう。向こう岸に渡ったら、スープ・ド・ポワソンの湯気を透かして、はるか南方のアルジェを振り返ってみようか、なんて思っていた。

秋が去って、冬がやってくると、さらにわびしさが忍び寄ってきた。途方もない大きさの雹が落ちてきたり、雪もしっかり降って、地中海性気候って、こんなに野蛮なのかと思った。

年を跨いで、風邪をひいた。

熱があるのに勃起するので、マスターベーションしていると、掃除のおばさん――いや、むしろおねえさん――がいきなり部屋に入ってきた。すぐに毛布をかぶせたが、見られたと思った。

目と目が合ったので、照れ隠しに「今日は風が強いね」と言った。

彼女は「ウィ、風があるわね」と答え、「@また、あとで{トゥ・タ・ルール}」と言い残して出ていった。

たまねぎの匂いが部屋に残った。

寒さが緩み、海浜にも街にも春の気配が漂い、ホテルの窓からアプサントの香りが忍び込んでくるような気がしてくると、もう限界だった。

一年の契約が終わる三月末には、フェリーで地中海を渡るはずだったのに、荷物をまとめて逃げ去るようにパリまで飛行機に乗った。

妻から最後にアルジェに届いた手紙には、帰ったら何が食べたいですか、とあった。イワシのつみれ汁が食べたいと返事に書いた。