5 – 3(遠くから、かすかなエンジン音が……)最終段

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遠くから、かすかなエンジン音が聞こえてきた。

目を開けると、やはりそこには石灰岩の巨大な塊があり、陽が照っていて、わずかに風が吹いていた。

小さなバスが細い山道を降りてきた。

バス停まで数百メートルあったので、全力で走った。

バスに追い抜かれたが、バス停で間に合った。

そこからエクスのターミナルまで、ずっと眠っていた。何も憶えていない。

そのあとのこともよく憶えていない。たしか、噴水のある大きな広場に面したカフェで遅めのランチを食べて、そのままコーヒーを飲みながらぼうっとしていたような気がする。それからあてもなくぶらぶらと街を歩き回り、かさばらないお土産など買った。ようするに時間潰しだ。そのあとの行動予定は出かける前から決まっていた。帰りは列車でマルセイユに寄ろうと思っていた。

目的はただひとつ、港のレストランでスープ・ド・ポワソンを食べること。

 

マルセイユの駅には四時か五時くらいに到着した。アルル行きの最終列車を確認してから――八時過ぎの快速があった――、駅舎を出た。フランス第二の都市の駅舎だけあって、建物はがっしりと大きく、少し小高いところに建っている。そこからさすがに海は見えなかったが、標識を頼りに歩けばなんとかなるだろうと思って、階段を降り、ぷらぷらと港のほうを目指して歩き出した。@旧港{ヴュー・ポール}まで歩いて行ける距離だと聞いていたので、地図を用意するほどのことはないだろうと高をくくっていたのである。

標識はあるけれど、それは車のためのもので、駅前を通る幹線道路のおおまかな方向を示しているにすぎなかった。街路はパリと同じように錯綜しているから、「旧港はこちら」というような歩行者のための標識などあるわけがなかった。歩いて行ける程度の距離じゃないかと思って、道が下っている方向に歩き出したが、十分歩いても、十五分歩いても、港の気配さえ感じられない。そのうち路面電車が走る幅の広い通りに出た。停留所に貼ってある路線図や時刻表を見れば、何かわかるかもしれないと思ったが、手がかりはいっさいなかった。

日曜日だというのに――あるいは日曜日だから?――人通りは少なかった。

まったく逆の方向に歩いている? にわかに不安になってきた。昨日、学校でパートナーのフランス人翻訳家に、明日はエクスまでバスで行って、帰りはマルセイユに寄ってこようと思うと告げると、マルセイユは怖いから気をつけてねと言われたことを思い出した。マルセイユの貧しい北部地区――住民のほとんどがマグレブ出身の移民からなっている――で起こった殺人事件(冤罪事件)を周到に取材したジル・ペローの『赤いセーター』というドキュメンタリーも思い出した。マルセイユがあまりに物騒になってしまったので、金持ちはみなエクスに引っ越してしまったという話も頭をよぎった。

こんなときに迷子になって、情けないなぁと思っていると、向こうから二人の黒人の青年が歩いてきた。どちらもブルージーンズに英語のロゴが入ったブルゾンをはおり、両手をポケットに突っ込んでいる。もちろん、すでに向こうの視野に入ったときからずっと見られている。彼らにしてみれば、こんな閑散とした通りを一人で歩いているアジア人が珍しかっただけかもしれないが、こちらは緊張する。ひょっとすると、財布を丸ごと取られてしまうかもしれない。さて、どうする。こういうときは怯えないほうがいい――なんだか野犬を相手にしているようだけれど。そこで、二、三メートルまで互いの距離が縮まったとき、こちらのほうから、パルドンと声をかけ、旧港にはどう行けばいいのかと、できるだけ自然体を装って尋ねてみた。すると、二人とも愛想よく、ああ、それなら、あそこの道をまっすぐ降りていくと港に出るよと答えてくれた。間髪おかずに、メルシー・ボク! とお礼を言って、すばやく彼らの脇をすり抜けた。こんなときはぐずぐずしないで立ち去るにかぎる。

それから二、三十分歩いたんじゃないだろうか。つまり見当違いの方向に向かって歩いていたわけだ。港に着いたときには六時近くになっていた。

港は予想に反して、ヨットやレジャーボートがずらりと――立錐の余地もなく――並んでいた。思ったよりも規模が小さかった。豪華客船はもちろんのこと、中型の観光船さえ停泊できる余地はなかった。波止場に面して、ずらりとカフェやレストランが立ち並んでいる。ああ、そうか、ここは観光客とボートやヨットの所有者のための場所なんだと、ようやく合点した。ネットで調べればすぐにわかることなのに。

夕食の時間にはまだ間があったけれど――そもそもフランス人の夕食は遅い――、観光地らしく開けている店が多かった。

店先に置いてあるメニュを書き記した黒板を見ながら、波止場に沿った通りを五百メートルほど歩いて折り返し、最初に目をつけたビストロ風の店に入った。

時間が早いせいか、二、三十人くらいは入れる店内に三人ほどの客しかいなかった。窓側の席に座ると、さっそく注文を取りに来た明らかにアラブ系の女性に、迷わず「スープ・ド・ポワソン!」と声を上げた。すると、ブイヤベース風にたくさん具の入ったのと、シンプルなのと、どちらがいいかと問い返してくるので、え、ブイヤベース風のスープ・ド・ポワソンなんてあるのかと、一瞬虚を突かれたが、そんなもの食べたいわけがない。もちろん、シンプルなやつと答え、ハーフのカラフを頼んだところまでは憶えているが、ほかに何を食べたか、そんなに昔のことではないのに記憶から抜け落ちている。

日が傾いて、ヨットハーバーが黄金色に染まっていた。四十年近く前には、この地中海の向こう側から、こちらを見ていたのだと感傷に耽りたかったが、残念ながら目の前にはマストの林やプレジャー・ボートの群れしか見えない。

よく冷えた白ワインを口に含むと、一日の疲れと緊張がどっと溢れ出した。

どうしてもマルセイユに寄ってみたかった。

あのアルジェで、帰りはきっとフェリーに乗って地中海を渡ってマルセイユに行くんだと思っていたのに、年をまたいだとたんに風邪をひいて、弱気になって、急にホームシックになってしまったことが、情けなかった。その思いがずっと後を引いていた。

来てみれば、それだけのこと、積年の悔いが晴れたというほどのことでもない。でも、そんなことを言い出せば、アルルにせよ、エクスにせよ、短期間の滞在で何がわかるわけでもないし、急に新しい世界が開けるわけでもない。ただ、自分で切り拓いてきたと思っている人生の終わりのほうになって、行きたかった場所に行けるというのは、やはり嬉しいことだし、それなりの感慨もある。がまんして仕事を続けてきてよかった。言葉にすればたったそれだけのことではあるけれど、言葉はただそれだけのほうがいい。

シンプルな、ただそれだけのスープ・ド・ポワソンが運ばれてきた。

そう、これこれ。なんの飾りっ気もない乳白色の、タラのすり身のせいで表面はポタージュのように滑らかになることはない、文字どおりの魚のスープ。皿の横にかりかりに乾いたバゲットの輪切りが数枚入っている小さな籠が置いてあって、さらにその横にはオレンジ色のライユ――ニンニク入りのマヨネーズソース――が溢れんばかりにたっぷり持ってある灰皿みたいな小鉢。

このライユを乾いたパン切れに塗りつけて、二、三枚スープに浮かせる。スープが濃厚だから、すぐには染み込んでいかない。最初からぐちゃぐちゃに混ぜて、スープにライユが溶け込んだ状態で、ふやけたパンをスプーンですくって食べる人もいるが、そういう食べ方は性に合わない。

パンにスープが染み込むのを待ちながら、乳白色の少しざらついたスープを口のなかに少しだけ流し込む――熱いので。それが喉を通り過ぎていったら、ワインを一口含み、転がして、そのまま食道に流し込む。次には、もう少し多めの量をすくって、ふーふー息を吹きかけて、スプーンの先を唇につけて、柄を傾ける。その繰り返し。

そうこうするうちにパンがふやけてきて、上に載っていたオレンジ色のライユが耐えきれずに白いスープのなかにへたり込んでいく。そこのところをスプーンですくって、そろりと口のなかへ。

幸福だった。

〈了〉

 

 

*本文執筆にあたって引用、参照した文献の一部。

(フランス語文献からの引用は、すべて拙訳)

      • アルベール・カミュ『異邦人』(窪田啓作訳、新潮文庫、昭和四十六年第四十一刷、平成十二年百七刷)
      • Albert Camus, L’étranger, Gallimard, “folio” 1977.
      • アルベール・カミュ『結婚』(高畠正明訳、カミュ全集1、新潮社、一九七二年)
      • Albert Camus, Noces suivi de L’été, Gallimard, “folio” 1979)
      • H・R・ロットマン『伝記・アルベール・カミュ』(大久保敏彦・石崎晴巳訳、清水弘文堂、一九八二年)
      • 『ファン・ゴッホ書簡全集/全六巻』(監修/小林秀雄・瀧口修造・富永惣一、翻訳/二見史郎・宇佐美英治・島本融・粟津則雄、みすず書房、一九八四年改版第一刷)
      • Vincent van GoghCorrespondance générale tômes 1~3 ,Gallimard, “Biblos” 1990)
      • パスカル・ボナフー『ゴッホ/燃え上がる色彩』(嘉門安雄監修、拙訳、「知の再発見双書」第三巻、創元社、一九九〇年)
      • Pascal Bonafoux, Van Gogh, Soleil en face, Gallimard, “Découverte”, 1987)
      • ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』(與謝野文子訳、岩波文庫、二〇〇九年)
      • Joichim Gasquet, Cézanne, Les Belles Lettres, 2012)
      • アラン・モッテ『オーヴェールのゴッホ』(斎藤智子・渡部葉子訳、朝日新聞社、一九九〇年)