この白樺の木立の前に「金毘羅山記念碑」と称する人の背丈ほどの記念碑が建っている。イナウ・ウシ・ベツというアイヌ語の地名が稲志別と表記され、やがて猿別山の麓に入植者がやってきて航海安全のために金比羅宮の分祠をその麓に設置したので、このあたりの小山は金毘羅山と称されるようになった。昭和の時代になると、開拓以来の地名、地番が改称されて、最終的に豊岡となったとある。
いまいち流れがつかめないのだが、ここに立ち止まって碑文を読む人はあまりいないだろう。かつて「金毘羅山」と呼ばれたこの丘のような山を越える道は、こちらに来て以来、すでに何十回となく通り抜けてきたが、今日までこの記念碑には気づかなかった。寒空に梢を伸ばしている白樺の木立でも写そうかと近づいていったら、この碑があった。碑文を写真に収めたわけではなく、Googleマップで検索したら出てきたので、なんとなくここに書き写してみた。誰の興味も惹かないだろうと思いつつ、この碑を建てた人もまたそんな思いだったのではあるまいかと想像力を逞しくして。