*45 野火

目の前に塚本晋也監督の撮った「野火」のポスターがある。娘がフォトストリームで送ってきてくれたのである。アマゾン・プライムでダウンロードして観たとコメントにある。「わたしにはおもしろかったけど、凄惨なシーンが多い上に話が淡々と進んでいくので人によっては嫌な印象を受けるかも」と続けて書いている。

ポスターには「なぜ大地を血で汚すのか」というコピーが左下に小さな活字で記されている。中央上部には大きな明朝体で「野火」の文字が、その真下に逆光の空を背景にして、銃を肩に掛け両手をわずかに広げた兵士の黒いシルエットが映し出されている。

大岡昇平の原作である。話題になっている。でも、映画のことには触れない。観ていないし、たぶん観ないと思うから。映画から「嫌な印象」を受けることを心配しているのではない。大岡昇平という「大作家」にあまりいい印象を持っていないのである。
『野火』という小説は学生時代に読んだ。読んで「嫌な感じ」がした記憶が今も残っている。

 

私は射った。弾は女の胸にあたったらしい。空色の薄紗の着物に血斑が急に広がり、女は胸に右手をあて、奇妙な回転をして、前に倒れた。
 男が何か喚いた。片手を前に挙げて、のろのろと後ずさりするその姿勢の、ドストエフスキーの描いたリーザとの著しい類似が、さらに私を駆った。また射った。弾は出なかった。(十九・塩)

 

戦争という凄惨な現場でドストエフスキーを連想するのかよ。そう思ったのである。むろんこの『野火』という作品は事実を描いたものではない。

 

私がこれを書いているのは、東京郊外の精神病院の一室である。窓外の中庭の芝生には、軽患者が一団一団とかたまって、弱い秋の陽を浴びている。病者をめぐって、高い赤松が幹と梢を光らせ、これら隔離された者共を見下ろしている。(三十七・狂人日記)

 

つまり、戦争を経て精神病院に収監された狂人の書いている日記が『野火』という作品なのである。大岡昇平という作家は、みずからの戦争体験をも自分の文学的野心の肥やしにしたのか、と血気に逸る青二才のわたしは思ったのである。

ところで、戦争を題材にしたもうひとつの代表作に『俘虜記』と題された作品がある。というより、こちらが復員後最初に書いた作品だが、そこにも似たような場面がある。こちらの作品では、語り手の「私」は、射たない。最初から、射つまい、射つくらいなら射たれて死のうと、この兵士は思っている。そして、その前に無防備な若い米兵が現れる。すると意に反して「私」は思う。「こいつは射てる」と。

 

しかし、彼がむこうの兵士に答え、私がその薔薇色の頬を見たとき、私の中で動いたものがあった。
 それはまず彼の顔のもつ一種の美にたいする感嘆であった。それは白い皮膚と鮮やかな赤の対照、その他われわれの人種にはない要素から成りたつ、平凡ではあるが否定することのできない美の一つの型であって、真珠湾以来私のほとんど見る機会のなかったものであるだけ、その突然の出現には一種の新鮮さがあった。そしてそれは彼が私の正面に進むことを止めた弛緩の瞬間私の心に入り、敵前にある兵士の衝動を中断したようである。

 

こうして、この作品は、射つか射たないか、どうして射つのか、どうして射たないのか、えんえんと心理分析が続く。

違うだろう、と若いわたしは思った。戦争という現場にあって、いまだに上から目線を維持しているこの「知識人」はいったい何者か。

わたしは、戦争はおろか、六〇年安保闘争も、七〇年安保闘争も、全共闘運動も経験していない世代に属する。ただし、そういう政治青年、知識人候補生、そういった若者の末路、そして、傍観者としての上から目線の知識人の姿——ことあらばすぐに逃げ出す——なら、いやというほど見てきた。

ここで開高健がベトナム戦争で直面した、あの有名な場面の描写を読み比べてもらいたい。

 

ふたたびどこからか瞶{みつめ}られているのを感じる。いまはそれがあるだけとなった。生還できるだろうか。にぶい恐怖が喉をしめつける。だらだらと汗をにじみつづけるだけの永い午後と、蟻に貪られぱなしの永い夜から未明へと送ったり迎えたりしているうちに自身との密語に覆われてしまえば汚水にわたしは漬かる。徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。扇動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、目を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私はすでに半ば死んでいるのではないか。(開高健『輝ける闇』)

 

そうだ、ここでは見ているのではない。瞶られているのだ。目は輝いてはいるが、盲いている。その物と同化し、犬のように死ぬ。

開高健はこの一作をもって、「文学」と刺し違えたのだと思う。そのあと、パリを舞台にエロスに溶けていく男女の姿を描く(『夏の闇』)。そして、満を持して「闇三部作」の最後を飾るはずの『花終わる闇』に取りかかるが、中断して未完のままになってしまう。これは小説を書きあぐむ作家の物語だが、ベトナム、パリ、東京と舞台を移して、なぜ挫折したのか。その疑問は、ここではそのままにしておこう。

ところで大岡昇平はもうひとつの「戦記物」を書いている。言うまでもなく『レイテ戦記』だ。これもまたジャンルとしては「小説」の枠に収められているが、この作品はジャンルの枠など易々と超えてしまう。

この大著を前にして、青二才のころに感じたわたしの「嫌な感じ」は消し飛んでしまう。献辞には、

 

死んだ兵士たちに

 

とある。

そして、わたしは『俘虜記』を読み返す。異様な作品であることに、今さらながら感じ入る。彼は俘虜になるまでの、心理の葛藤ではなく、生死の葛藤を書いている。彼は死のうとして死ねなかった。彼は生き延びた。虜囚の辱めを一身に背負いながら。日本という国家と同じように。

彼は芸術院会員への推薦を辞退する。かつて俘虜の身であったということを理由に。この辞退の真の理由を正しく見抜いたのは、批評家秋山駿ただひとりであった。

一兵卒の感情からすると、天皇の存在は有害であると断じた大岡昇平の言葉を、さっきから探しているのだが見当たらない。『レイテ戦記』も見当たらない。あるはずなのに。だから、図書館から借りてきて、この文を書いた。

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