今朝、久しぶりに夢を見た。
たぶん毎日見ているのだろうが、歳をとると——歳のせいかどうかはわからないけれど——そんなもの、記憶に残らない。とくに最近は。精神状態があまりよくないせいか、嫌な思い出ばかりがせり上がってくるので、できるだけ何も考えないようにしている。といっても、毎日数時間、活字を読んで、文字を書く仕事をしているので、頭を使わないわけにはいかない。頭を使っていると、過去の感情体験や記憶が仕事の邪魔をしにやってくる。
くそ、仕事にならねぇ。
そんなときはボーリングをしにでかけるのが最近の習慣である。先週の木曜日には二百点超えを記録して、大いに溜飲を下げた。
それはともかく、夢の話である。
帯広市内の街路は南北東西、正しく碁盤の目になっている。その二十一丁目通りを東に向かって自転車で走っている。その先には光南小学校がある。夢を見ている本人が子供のころ——半世紀以上前!——に通った小学校だ。どうやら、夢のなかで自転車をこいでいるのは、子供のころの自分らしい。彼は文字どおり、自転車を漕いでいる。季節は春先らしく、舗装されていない道は雪融けでぬかるんでいる。自転車は漕ぐのはおろか、立っているのもたいへんなほどの路面の荒れようである。それでも子供は健気に漕いでいる。ふと顔を上げると、光南小学校の裏手——北側——に大きな木があおあおとした葉を繁らせて、一本立っているのが見える。鬱蒼とした葉叢は光を内部に貯めこんだ鈍色の空に頭を突っこんでいる緑色の入道雲のようにも見える。これは写真に収めなければと思うのだが、首からつり下がっているカメラは、ただでさえ不安定な自転車に乗りながら、片手で操作するのはひどく困難である。それをなんとか、ファインダーを目のところまで持ってくるのだが、シャッターが押せない。いろんなボタンがあって、どれがシャッターだかわからないのである。そうこうするうちに光の表情がどんどん変わっていって、入道雲のように見えた樹木の威容はどこかに消えてしまった。自転車にまたがったまま、シャッターチャンスを逃した子供のわたしが、ぬかるんだ道にぽつんと一人残される。
とまあ、こんな取り付く島もない夢なのだが、いちおう説明すると、二十一丁目の通りとは、かつても今もわたしが住んでいる家——もちろん今の家は立て直した——の前の道である。光南小学校は少し東の札内川寄りに移築されて新しくなってはいるものの、今も子供たちが通う現役の小学校である。その裏手に、しかし、夢で見たような大樹は存在しない。存在したとしても、春先の北海道で鬱蒼とした葉を茂らせることは——山奥の針葉樹林は別として——ありえない。
では、あのどっしりとした樹木がどうして夢のなかに出現したのかと問うてみても、夢のことだからわからない。
子供のころに見た夢で今も憶えている夢がある。
光南小学校の西側の東四条通りを鉄道の踏切のほうへ、てくてくと二人並んで歩いていくのである。周囲にはまばらな人家と畑しかない。一人は自分、もう一人は女の子。この女の子に、今も昔も心当たりはない。夢を見たその日の朝、あれは誰だったんだろうと思い、夢の内容よりも、その不思議さだけが記憶に残った。今も残っているから、これを書いている。
歩いている自分は、その女の子の隣にいて、とても幸福な気持ちになっている。裕福な家に育ったわけではないが、当時はみな貧しかったし、自分が幸福であるとか不幸であるとか意識はしなかったように思う。だが、夢のなかでの幸福感は格別だった。
その夢のなかで感じた幸福を思い出すと、苦しくなる。歳月を経て、老いのとば口に立っている自分に気づくからだろうか。