どうも、東京の娘の住まいから帯広へ帰ろうとしているようである。しかし、いつもと何か勝手が違う。そそくさと荷物をまとめ、家を出るのだが、ここがどこだかわからない。つまり、実際に娘(次女)が住んでいる場所とは違うようなのである。
空港(といっても、羽田かどうかもわからない)へ向かう電車に乗ろうとするのだが、プラットフォームがおかしい。土手のようなところにある。電車がやってくる。それに乗るには土手の傾斜を登っていかなければいけない。そんなバカなと夢のなかの私は思っている。
たくさんの乗客が列車に乗りこんでいくのを、私は土手の下から見上げている。あれはひょっとしたら空港行きではないのか? でも、今から土手を登っていっても間に合いそうもない。そうこうしているうちに電車は出ていってしまう。
私は大きめのショルダーバッグのような、頭陀袋のようなものを引きずりながら土手を登り、プラットフォームに上がる。そこで気づく。しまった。もう一つのバッグを忘れてきた。むしろあっちのほうにたくさん荷物が詰まっているのに。どうりでバッグが軽いと思った。今さら引き返せない。それどころか、飛行機にも間に合いそうにない。そうか、さっきの電車がそうだったのだ。あれに乗れば間に合ったのだ。しかたない。今さら戻るわけにもいかない。とにかく空港には行こう。行けばなんとかなるだろう。
しかし、電車は来ない。あーあ、これじゃ、いつ空港に着くことやら、と溜息をついているうちに、一両編成の電車がやってくる。なんだこれは? と思いつつ、乗りこむと、間もなく次の停車駅に到着する。
今度の駅は、土手の上の駅とはうって変わって、コンクリートで密閉されたようなプラットフォームである。とりあえず降りたはいいが、出口がない。つまり改札口に通じる開口部がどこにもないのである。私はプラットフォームに立っている他の乗客にきいてみる。
「この線路はどこに通じているのですか?」
「さあ」
さあってことはあるか。みんなどこに行くのかわからないまま、次の電車が来るのを待っているということか。「私」は駅員らしき制服姿の男にきいてみる。
「次に来る電車はどこに行くのですか?」
「さあ、来てみないとわからないね」
そんなバカな。これじゃ埒が明かない。私は閉ざされたプラットフォームのなかをうろうろしはじめる。どこにも出入口はない。ただ湿っぽいコンクリートの壁があるだけ。対面も上部もコンクリートで塞がれている。線路の通り道だけが空いている。私はさっき乗ってきた電車の進行方向へ歩き、その向こうに広がっている風景を覗きこむ。
川が見える。かなり大きな川だ。線路はその川に沿って続いているようだ。川の向こうには大きな湖が見える。その大きな湖の奥に白いものが見える。
波だ。風による波ではなく、湖底から湧き上がってくるような波。波はしだいに大きくなって湖面全体を覆い、ついには津波のように膨れあがり、こちらに押し寄せてくる。線路はすでに水没している。
これでは逃げようがないではないか。コンクリートで固められたプラットフォームにまで壁のような波が押し寄せてきたら、もう一巻の終わりだ。
目を覚まさないと、溺れ死ぬぞ。
「絵に描いたような夢」というのは、日本語としておかしいのはわかっているが、昨夜こんな夢を見て、自分で笑ってしまった。まるで、絵に描いたような夢だな、と。
睡眠障害が深刻になりそうである。布団を敷いても、その布団に入りたくない。眠るのが怖いというわけではないし、寝てはいけないと思っているわけでもない。寝ることに対する嫌悪感のようなものがある。しかし、12時を過ぎれば寝たほうがいいと思う。次の朝、どうせ6時には目が覚めるのだから。
で、とりあえず、布団をかぶる。寝付きは悪くない。しかし、2時、3時に目が覚めてしまう。あまりに冴え冴えとすると、頭に来て仕事を始めることもある。そのまま布団のなかにいて、また眠れることもある。しかし、5時、6時になれば、飼い猫のシマが餌をくれと起こしにくる。
一日中、熟眠感のないまま過ごすことになる。昼寝も妙に深いので、目覚めると疲労感が残っている。
原因はわかっている。今、やっている翻訳が「病気」なのだ。これが終わるまではこの睡眠障害に悩まされることになるだろう。しかし、数ヵ月で終わる仕事ではないのだ。2年、いや3年はかかるだろう。
やれやれ、先が思いやられる。