どこのうちの猫も、飼い主が声をかければ返事をするのだろうか。ミャーとかニャーとか。そんなことを疑問に思うのは、たぶんうちの猫が、最初のうちは鳴かなかったからだろうと思う。
うちの猫は捨て猫だった。近所に篤志家の女性がいて––今時、篤志家などという言葉を使う人はいないかもしれないが、ボランティアという言葉が嫌いなのである––、捨てられた子猫を拾ってきては、その子が元気になるまで、あるいは病気が治るまで自分の家で育てたのち、里親を探すというまことに奇特なことを続けていた(過去形で書くのは、その頃は東京に住んでいたから)。
死んだ女房がその篤志家と親しかったので、子猫をもらうことになった。二匹の子猫が小さな段ボールの中に入っていた。兄弟で捨てられたのだという。二匹まとめて引き取るか、兄か弟、どちらかを選ぶか、選択を迫られた。妻にしろ私にしろ、それまで猫を飼ったことがなかったので、いっぺんに二匹を飼うのは少し負担だった。では、兄と弟、どちらを選ぶか。兄は活発で、健康そうだった。弟のほうは痩せていて、元気がなかった。兄はパンダのような白黒模様で、弟は背中が部分的に縞になっている。兄は活発だが、面構えといい、斑の模様といい、どうもガサツな感じがする。弟のほうはやせ細って神経質そうだが、顔立ちが引き締まっていて、気品があった。洋猫(シャム系)との混血らしい。
そっちのほうをもらってきた。いかにも華奢で弱々しいので、妻がせっせと面倒をみた。その甲斐あってか、見る見る元気になっていった。
数日して(あるいは一か月ほど経っていたかもしれない)、妻が「この子、声が出ないんじゃないかしら?」と言い出した。
確かに。家族の誰もが、猫の鳴き声を聞いたことがなかった。で、近くの動物病院へ行って、きいてみた。「鳴けない猫っていますか?」
鳴き声を出すのが遅い猫はいるという。うちの猫の場合は、生後間もなく捨てられたせいで、母親に乳をねだる機会がなかったのではないかと獣医師は推測した。なるほど。
それなりに納得したものの、では、いつ鳴くか、それが家族の気がかりになった。
しかし、いつ鳴いたのか、正確には思い出せない。最初の鳴き声を確認した「第一発見者」が誰だったのかも、今となっては不明である。
当時行き付けの動物病院から渡された「健康手帳」––まだ手元に残っている––には、「H15.7.4 1.3kg ワクチン」と記されている。これが最初の検診だろう。そう、今から12年前の夏、やせっぽちの子猫はわが家に引き取られ、シマと名付けられた。それから1年後の秋、妻は他界した。
鳴かなかった子猫は、今ではよく鳴く。時には自分の生命力を誇示するかのように、あるいは遠くにいる誰かを呼んでいるかのように、家じゅうに響き渡る朗々とした声で鳴くこともある。
さっき、ベランダに続くガラス戸を開けてやったら、ひとしきり黄色い落ち葉と戯れてから室内に戻り、ごろりと床に横たわった。いかにも満足そうだったので、「そうか、気持ちよかったか?」と声をかけたら、
ニャー、と答えた。