このところチャイコフスキーを立てつづけに聴いた。といっても、シンフォニーの5番と6番だけ。指揮者は全部で5人。カラヤン、ベーム、ザンデルリンク、オフチニコフ、チェリビダッケ。
チャイコフスキーは長いこと素直に聴けなかった。高校時代にブラスバンド部員の友人が二人いて、一緒になれば必ずクラシック談義になった。部長をやっていたほうは、いつもいっぱしのことを言った。若いときは誰もがいっぱしのことを言いたがるものだ。チャイコフスキーって、自分の情念に溺れちゃうんだよね、とかなんとか。
それ以来、チャイコフスキーにのめり込むのが恥ずかしくなったのかもしれない。そもそも、評論家たちが口を揃えて、ロシア的情念だの、苦悩だの、絶望だのという「用語」を使いたがるし、標題音楽だかなんだか知らないけれど、音楽の題名に「悲愴」ってことはないだろうと・・・・・・。そんなことを言えば、英雄、運命、田園ってなんだってことになるけれど。
というわけで、この音楽家を少し敬遠しておりました。
ところが、つい最近、ひょんなことから(きっかけは忘れてしまった)ヴィヤチェスラフ・オフチニコフという人が指揮する「悲愴」を聴いて、おおっ!と声を上げてしまったのだ。ええっ?でもいいかもしれない。
演奏はモスクワ放送交響楽団、録音は1982年。うちにあったレコードで、今まで針を乗せたことがなかった。ジャケットの帯には錚々たる賛辞が並んでいる。
「暗いスラブの憂うつと情熱にみち、楽曲の内部に秘められた表題性や悲劇性を鋭く追求したスケールの大きい演奏」(音楽評論家・小石忠男)
「汚れなき天使の純粋さと悪魔の笑い。・・・・・・彼こそ天才だ」(ヴァイオリニスト・佐藤陽子)
「オフチニコフの才能と実力は大変なもので、この「悲愴」も実にすばらしい演奏である」(音楽評論家・志鳥栄八郎)
「作曲家でもある彼の音楽的発想を、豊かな想像力をもって展開した「新しい悲愴」」(音楽評論家・藤田由之)
作曲家でもあり、指揮者でもあるこのオフチニコフという人が、その後どういう活躍をしているのか、文字どおり寡聞にして知らない。
なぜ、この演奏と指揮を聴いて、おおっ!(あるいは、ええっ?)となるのか自分でもわからない。帯のコメントがそれを言い当てているとも思えない。
スピード? テンポ?
というわけで、わが家にある数少ないチャイコフスキーのレコード、CDをかき集めて聴き比べてみたのである。音楽、あるいは演奏を言葉で再現することは不可能なので(少なくとも、わが貧寒な筆力では)、数値に表しうるデータだけ並べてみる(第6番のみ)。
1.ヴィヤチェスラフ・オフチニコフ指揮、モスクワ放送交響楽団
(1982年、モスクワ)
第1楽章:アダージョ〜アレグロ・ノン・トロッポ(20:29)
第2楽章:アレグロ・コン・グラチア(7:24)
第3楽章:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(9:04)
第4楽章:フィナーレ、アダージョ・ラメントーソ(11:18)
2.カール・ベーム指揮、ロンドン交響楽団
(1978年、ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール)
第1楽章:(19:06)
第2楽章:(9:02)
第3楽章:(9:16)
第4楽章:(10:02)
3.ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1964年、ベルリン、イエス・キリスト教会)
第1楽章:(18:45)
第2楽章:(7:53)
第3楽章:(8:35)
第4楽章:(9:55)
4.セルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(1992年、ミュンヘン、ガスタイク)
第1楽章:(25:12)
第2楽章:(8:38)
第3楽章:(10:39)
第4楽章:(13:10)
一目瞭然だろう。とくにカラヤンとチェリビダッケを比べてみると同じ曲かと思うほど、演奏時間に開きがある。もちろん聴いた印象もまるで違う。このなかで、チェリビダッケの「遅さ」にもっとも近いのがオフチニコフだということもよくわかる。
生前、自分の演奏をレコードにすることを拒みつづけたチェリビダッケは、その理由を問われて、こんなふうに答えている(どの本、どの雑誌、どこの解説で読んだのだったか忘れてしまったので、筆者の個人的記憶に過ぎない)。
自分はコンサートホールの音響状態に合わせてオーケストラを指揮している。たとえば残響の長いところでは速めに、残響の短いところでは遅めに。なぜなら、残響の長いところで遅めに演奏すると、音が重なって濁ってしまうからだ。楽器の響きは季節によっても違う。そんなふうにして、きわめてデリケートにホールの状態を考慮しながら一回一回の演奏をつくりあげているのに、レコードにしてしまうと、録音技術者のレベル、録音装置のレベル、再生装置のレベルと再生環境しだいで、その都度、もとの演奏の微細な響きが勝手に変更されてしまう。そんなことは耐えがたい・・・・・・。
このチェリビダッケの述懐を考慮に入れて、演奏時間のデータを比べてみると、また違うことが見えてくる。スタジオ録音に並々ならぬ意欲を示したと言われるカラヤンの演奏が、このレコードで「異様に」速く棒を振っているのは、ひょっとしたら、演奏・録音された場所がベルリンのイエス・キリスト教会だったからかもしれないと。この教会は残響が長いので有名な建築で、ここで録音された演奏で忘れられないのが、カール・ベーム指揮、ベートーヴェン交響曲第7番(ベルリン・フィル、1958年)だ。このレコードは何度ターンテーブルの上に乗せたことか。この演奏もめっぽう速い(ベームにしては)。
それはともかく、このレコードで聴くかぎり、カラヤンの「悲愴」は速くて軽い。まさに「疾走する悲しみ tristesse allante」、モーツァルトみたいに一目散に駆け抜けていって、あっというまに後ろ姿も見えなくなる(べつにモーツァルトの悪口を言っているわけではありません)。華やかではあるだろう。久しぶりにカラヤンの指揮を聴くと、オーケストラという楽器を美事に鳴らす名ソリストという感じがする。
しかし、チェリビダッケが鳴らしているのはオーケストラではない。ホールそのものだ。この人の演奏は、パイプオルガンによる教会音楽の伝統なしには考えられない。
数年前、僕はパリのサン=シュルピス教会の大聖堂に鳴り響くオルガンを聴いたことがある(たしか荘厳ミサか何かの特別な催しだったように思う)。圧倒された。これはもはや音楽ではない、地響きだと思った。事実、サン=シュルピスのオルガンはあまりに古く、音が濁っているらしい。そのため、改修派と存続派のあいだで議論が対立しているとも聞いた。
この種の経験はこれにかぎらない。フルトベングラーが一九四三年(だったと思う)に指揮したという伝説の名盤——もちろんベートーヴェンの第5番だ——を聴いたときもそう思ったのだ。こんなふうに演奏されたら、猫だって感動するだろうと。
この名盤を聴かせてくれたのは、大樹という町で曹洞宗の寺の住職をやっている従兄だった。坊主、医者の例に漏れず、彼もオーディオマニアで、そのころ使っていたのは——僕が学生だったころだから、四〇年くらい前——、巨大なタンノイのスピーカーだった。じつはチェリビダッケという指揮者の存在を教えてくれたのも、この従兄なのだ。かれこれ二〇年くらい前のことだろうか。彼のオーディオルームで、チェリビダッケの演奏を記録したビデオを見せてもらった(そのころは、遺産相続人の息子が認めた正規版のCDがまだ出ていなかった)。曲はラヴェルの「ボレロ」。一発でKOされた。後にも先にもこんなすばらしいボレロを聴いたことはない。
地響きと言えば、もうひとつ思い出がある。ワーグナーの「リング」。これはうちにあるレコード。サー・ゲオルグ・ショルティー指揮、ウィーン・フィルハーモニー、「ニーベルングの指輪」。細かい録音データは省く。なぜなら、全曲聴いたことは一度もないから。というか、冒頭の「地響き」のところで大笑いして、聴くのをやめてしまったのだ。バイロイトで聴くのならともかく、録音された「リング」を自宅で聴くなんて、正気の沙汰とは思えない(買ったのはたぶん母親。地元の楽器店——当時はレコードも売っていた——で嘱託のような仕事をしていたから、店長にそそのかされたのだろう)。
話が逸れてしまった。
とにかく、オフチニコフの「悲愴」に驚いたせいで、あらためてチャイコフスキーを聴き直し、チェリビダッケの指揮法、演奏法についても考えさせられることになったわけだ。
わが家の慎ましいライブラリには、チェリビダッケのCDが2箱ある(つまり24枚)。でも、このうちチャイコフスキーの5番と6番は一度も聴いたことがなかった。そう、敬遠していたのだ。今回、初めて聴いてみて、チャイコフスキーがチェリビダッケの大切なレパートリーであることを確認できたのはよかった。
チャイコフスキーがすばらしい作曲家であるということを素直に感じられたこともよかった。
さっきカラヤンのことを、オーケストラという楽器を鳴らすソリストだと言ったが、それに平衡させるなら、チェリビダッケはホールという建物を鳴らす建築家だと言えるだろう。
パイドロスはある建築家について、こんなふうに回想している。
彼は光のために無類の装置をつくりあげたのでした。光に明瞭な形と、ほとんど音楽的ともいえる特性を与えて、それを死すべき人間たちの動き回る空間へとまき散らしたのです。ソクラテスよ、あなたが先ほど念頭に置いて語っていた雄弁家や詩人たちと同じように、彼は微妙な抑揚のもたらす神秘的な効果に通暁していました。一見すると簡素で軽やかに仕上げられた建築を前にして、じつは無数のかすかな屈曲と、建築家がそこに目立たぬように忍ばせた整合と不整合の深い組み合わせによって、いつしか幸福のようなものに導かれているとは誰ひとり気づかないのでした。その結果、建築を見る人は不可視の存在の意のままになるがごとく、前に進み出ては引き返し、また近づいていくといった動きを繰り返し、建築作品それ自体に突き動かされ、ただ賛嘆の虜となるがごとくに光の場をさまようにつれて、幻影(ヴィジョン)から幻影へ、大いなる沈黙から喜悦のささやきへと移っていくのでした。そう、このメガラの男はこう言っていたのです。「わが寺院は、愛する対象がそうするように人を動かさなければならない」と。
もちろん、このパイドロスはプラトンの対話篇には出てこない。ポール・ヴァレリーの「エウパリノス、すなわち建築家」と題された対話篇のなかで、ソクラテスと語り合うパイドロスであり、メガラの人エウパリノスは、じつは建築家というより技師であったと覚書には記されているが、すべての芸術家は何よりもまず職人であり、技師であるだろう。