かつてメソポタミアの地に興亡した王国や都市の名を初めて気に留めたのは、高校の歴史の時間だったろう。
日本史にせよ、世界史にせよ、いわゆる暗記科目というのが、大の苦手だった。たぶん暗記能力に欠陥があるのだろう。棒暗記、丸暗記というのが、拷問のようにしか思えなかった。
それなのに、ある日、突然、歴史がおもしろくなった。「ある日、突然」というのは日付を憶えていないからだが、きっかけは憶えている。友人に教えられたか、本屋で見つけたかは忘れたが、薄っぺらい横長の「世界歴史地図」という参考書を手にしたときからである。
横書きの本と同じく、左側のページを右に繰ってゆく造りになっていて、原始、先史と呼ばれる時代から始まって、四大文明、古代ギリシア・ローマ、古代中国王朝の興亡というように順繰りとページは続いていく。
横に長いページの左三分の二が四色刷りの地図になっていて、右三分の一が縦に年号が並ぶ年表になっている。
本というよりは冊子に近いこの参考書を開いた途端、魅せられた。
見えないはずの時間を俯瞰している気分に満たされた。
その歴史地図は薄いけれども、情報がぎっしり詰まっていた。学校で使う教科書では小さく隅のほうに追いやられた国の名や都市の名が、ほとんど大国と同じ扱いで記載されている。
エラム、ニネベ、バビロンのような地名を口に出してみると、何か秘事めいた気分になった。突厥、ウィグル、渤海、契丹、遼……、西域に明滅する国々の名をうっとりと見つめていた。
死んでしまった国があり、死んでしまった言語がある。史書に記録がなければ、あったのかなかったのか、それさえわからない国もあるだろう。そこで暮らしていた民族もあっただろう。そこで使われていた言語もあったにちがいない。
名もなき国、名もなき民、名もなき人々、名もなき草花とは、書き記されなかっただけのことで、存在しなかったわけではない。存在しないわけではない。
といっても——繰り返すけれど——記録も遺跡もなければ、かつて存在したことさえわからない。でも、その見えない彼らは少数派ではない。黙しているが圧倒的多数を占めている。その無言には、意味こそないけれど、たしかな重さがあって、われわれの生存の根底を支えている。齢を重ねるにつれ、そんなことを思うようになった。
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高校を出て大学に入り、東京でひとり暮らすようになってからポール・ヴァレリーという詩人・思想家の本を夢中になって読んだ一時期がある。普仏戦争とパリ・コミューンというフランス近代史における衝撃的な事件の勃発した一八七一年に生まれ、第二次世界大戦終結の一九四五年にこの世を去り、国葬にふされた大作家だ。
エラム、ニネヴェ、バビロンは漠として美しい名であり、それらの世界が完全な廃墟になったことも、それらがかつて存在したこと同様、われわれにとってはさほど切実なことではありませんでした。しかし、フランス、イギリス、ロシア、それらもまた美しい名になろうとしているのかもしれません。
こんなふうに書き出されている「精神の危機」というエッセイは、一九一九年にイギリスの雑誌の求めに応じて発表された。今から百年前のことだ。フランス、イギリス、ロシアは、それぞれ戦争と革命の前世紀をくぐり抜け、いまだ大国として健在であると言えるかどうかはともかく、たんなる美しい名になりはてたわけでもない。
アルジェ、アルジェリアもまた、美しい名だと思う。もちろん、死んだ都市でも、死んだ国でもない。漠ともしていない。国の人口は四千万以上、首都のアルジェには三五〇万人ほどの人が住んでいる。アフリカ大陸の北側にあって、地中海に面している。アトラス山脈の背後にサハラ砂漠を抱える大きな国だ。
かつて私はその国で二十代最後の年を過ごした。三十年以上前のことだ。個人的な記憶のなかでは、その地の時間はそこで止まっている。ニネベやエラム、バビロンと同じように。そこで濃密な時間をともに過ごした友人や同僚、知己とも、とうに音信は絶えている。あえて記憶を掘り起こすこともなかった。
アルジェ、アルジェリア。
それはまるで青春時代の終わりに読んで、本棚の隅にしまい込まれたままになった一冊の本のようだ。そのページを繰るのには、やはり勇気がいる。そこに紛れもなく愚かな自分がいるというだけでなく、得体も由来も知れない罪障感のようなものも潜んでいるから。