*220 対岸。

札内川(ISO/200, 35mm, f/5.6, 1/900, 16/04/21)

これは今朝、散歩の途中で足を止めて撮った写真(トリミングと補正あり)。何の変哲もない平凡な朝の光景ですが、じっと見つめているうちに、なんだかあやしい気持ちになってきた。あやしいとは、つまり美しいという意味です。さっきから、どうしてこれを美しいと感じるのだろう、そう感じるのは自分だけではないのか、と自問自答しているところです。そして、遠い昔に処分した油絵具と道具一式を買いに行きたいという衝動に駆られるのです。

*219 廃船。

昆布刈石海岸(ISO/200, 18mm, f/5.6, 1/680, 11/04/21)

昆布刈石海岸を見降ろす展望台の近くに奇妙なスポットを見つけました。国道(通称浦幌道路)から海岸に通じる脇道があって、その砂利道を降りていくと、船着場のようなものが出現したのです。ご覧のように廃船となった小さな漁船も置き去りにされている。昆布刈石海岸と命名されているくらいだから、海岸沿いに繁茂する昆布を採る漁船だったのかもしれません。このあたりがいちばん水平線が開けていて気持ちがいい。釧路と十勝の境にあって、車で1時間半はかかるのですが、最近は月に一度は訪れるようになりました。

*218 開花待ち。

光南緑地公園(ISO/200, 35mm, 0.67ev, f/5.6, 1/600, 06/04/21)

枯れた葉を残したまま越冬した桜です。これからこの枯葉が落ちて、蕾が淡い桜色に染まり、ひとつふたつとほころびて花となり、みずみずしい若葉をまとうようになる。それまで束の間の、冬の名残り。ああ、こういうのも綺麗だなと思い、まだ水曜日ですが表紙を変えることにしました。

 

今朝、同じ道を散歩していて気づいたのですが、この木は枝ぶりといい、縮こまった枯葉の形状といい、そのしぶとい残り具合といい、桜の木ではないですね。楓でしょう。去年のことを思い浮かべると、春、ここに桜はなくて、秋に真っ赤な紅葉を茂らせていた景色を思い出しました。急に暖かくなって桜の開花を期待するあまりの勇み足(?)といったところか。ま、とにかく、これから新緑の季節を迎えて、この木がどのように変貌していくか、観察するのがたのしみです。

 

*217 クロッカス

自宅花壇(ISO/200, 18mm, f/4, 1/240, 04/04/21)

これは自宅玄関脇の花壇で冬から目を覚ましたクロッカスです。夜来の雨で倒れているのもありますが、春一番のクロッカス、可憐なのにたくましい。母の話によれば、父が今の敷地に家を建てたときに、母の父——すなわち私の祖父——がわざわざ札幌の実家の庭から球根を掘り起こして送ってくれたものだそうです。それを今住んでいる家の花壇に母が植えかえた。それが毎年春になると、真っ先に白い花を咲かせる。天気予報によると、今日は一日中雨らしいので、撮影ドライブはやめにして、札幌の母の実家を訪れたときの思い出話でも書くことにしましょう。

*216 森の中。

帯広の森(ISO/200, 35mm, 0.67ev, f/4.5, 1/150, 28/03/21)

今日は朝から牛すじを煮込んでカレーの下拵えをしたりしていたので、お昼ご飯を食べて少し昼寝をしていたら2時を回ってしまい、これだと遠くまで行けないなと思い、久しぶりに〈帯広の森〉——帯広の西郊にある植林によって造成された人工の森——へ足を伸ばしてみました。まだ自転車では走り回れないだろうと思ってきてみたら、案の定、雪があちらこちらに残っていました。ファインダーをときどき覗きながら歩いていくと、散歩している親子連れに出会いました。向こうから歩いてきたのですが、たぶん兄弟の下の方が——靴の中に雪が入ったのか——「ねぇ、待ってよ、お母さん!」と呼び止めたので、その隙をねらってパチリ。さすがに真正面から写すのは憚られました。ここに掲載するのも少し躊躇しましたが、少なくともお母さんは後ろ姿だし、早春は風景のなかだけにあるわけではないということで、ご勘弁いただきたい。

*215 春の雪(3)

大津(ISO/200, 55mm, 0.33ev, f/5.6, 1/350, 21/03/21)

〈春の雪〉シリーズ、最後の一枚です。これは、できるものなら絵にしたいと思った写真です。たぶん、木立がまとった湿った春の雪が油絵具の鉛白(ジンク・ホワイト)の感触をよみがえらせたからでしょう。高校時代は選択科目に美術があって、毎週一時間は美術室でキャンバスに向かっていました。大方の常識に反して、絵画は時間芸術だと思っています(ということは、音楽は空間芸術だということになります)。絵を描くのにこめられた時間が、それを見る人のなかでその人固有の時間として紡ぎ出されていくものだと考えているのです。では、写真はどういう芸術なのか? それがいまだによくわからない。もちろん、自分の撮る写真が芸術だと思ったことはないし、芸術を目指しているわけでもない。ただ、心洗われたいと思って風景を見つめ、シャッターを押しているだけです。

*214 春の雪(2)

二宮(ISO/200, 18mm, f/5.6, 1/1500, 23/03/21)

日曜日に写真を更新して、その翌々日にまた同じ日に撮った写真を掲載することはほとんどないのですが——あるいは初めて?——、前回のコメントがあまりに舌足らずで、なんともじれったく、かといって言葉に言葉を重ねるとかえっておかしなことになるので、実物の写真で言いたかったことを補足します。これは雪景色ですが、冬の景色ではない。春の景色でもない。それが淡い光の色にあらわれている。この写真はけっこう気に入っているのですが右端の木立に電線がかかっているのが気に食わない。トリミングしてかろうじてなんとか「絵」にしました。もう一枚気に入っているのがあるのですが、それはまた明後日にでも。

*213 春の雪、降るなか。

駒畠(ISO/200, 35mm, f/5.6, 1/900, 21/03/21)

春の雪がばさばさ降るなか、今日もなぜか海へと向かいました。でも、今日にかぎっては行きも帰りもその途上で、今まで味わったことのない感興に包まれ、何度も何度も車を停めました。そしてその度に、停車するタイミングが遅れた、もっと早く停めるべきだったと思うのですが、それは今日の雪が光を大地に封じ込めるようにして世界を覆い尽くしていたからだったのでしょう。低い山々も木々も、雪を溶かして黒々と輝く舗装路も、太陽の光を反射しているのではなく、自分の固有色を内部から発光させているような、独特の気配に包まれていたのです。だから写真に切り取ることができない。そんななかでかろうじて撮った道端の一枚です。

*212 みぞれ色。

大津(ISO/200, 35mm, f/5.6, 1/500, 14/03/21)

今日も向かったのは海でした。最近、山の方に気が向かないのはどうしてか。早朝降っていた雪は氷雨となり、海に近づくにつれて霙のようなものになりました。大津は十勝川の河口にある小さな港です(先々週は漁船の写真*209を掲載しました)。かぎりなく雨に近い霙が岸辺の木々を洗い、雪を湿らせ、河口の水面を曇らせている。みぞれ色なんて色名があってもいいんじゃないかと思ってシャッターを切りました。

*211 芽吹き。

    千代田堰堤(ISO/200, 35mm, f/5.6, 1/650, 07/03/21)

こちらの気分は、春めいた景色を撮りたくてうずうずしているのに、3月に入った途端、季節外れの——というよりも地球規模の気候変動で従来の季節感が当てはまらない——どか雪が降って、光や空気は春めいているのに、見た目だけ冬みたいな、なんだか釈然としない気分でいるところに、橋の欄干の上まで伸びている赤い化粧柳の枝を発見。ここだけは春です。