あまりにも間があきました。2ヵ月以上。
吉本隆明の死と、わが友近藤渉の死のことを書いて、それっきり。
それっきりになってもいいかと思っていた。どうせ6月末になれば、このアップル提供のmobile.meというブログの軒下(?)もなくなるし、ちょうどいい潮時かと・・・。
ブログを書きつづけることで何かが開けるかと思っていたけれど、書いているうちにまるで墓を掘っているような気になってきた。それは本意ではないというか、本意がどこにあるのか、当人にもわからなくなってきたというか・・・。
そして、メシアン。
没後20年ということで、フランスでも日本でもCDの全集なんかが出たりして盛り上がっているようです。
でも、そんなこと、どうでもいいことだ。
どこから書けばいいのか。
Pascal Quignard ou la littérature démenbrée par les musesとう本があります。(訳せば、パスカル・キニャール、ミューズたちに引き裂かれた文学)
2010年にソルボンヌで開かれた学会のような、キニャールと親しい画家や音楽家が集まって、対談やらコンサートを催した記録のような本。対談の記録やら、短い論文やらが集められています。DVDも付録についています。
このなかに、エマニュエル・レヴィナスの息子ミシャエルとキニャールの対談が入っている。ミシャエルは音楽家で、エマニュエル・レヴィナスはキニャールの大学時代の恩師。
こんな事実を説明しているのも煩わしいくらいだ。
この対談で、僕は初めて、キニャールが、現代音楽の泰斗というのか、先駆者というのか、オリヴィエ・メシアンに深く傾倒しているということ—— 深い親近感を抱いているといったほうがいいのもしれないが、適切な言葉が浮かばない——を知った。
手もとに一枚のレコードがある。
オリヴィエ・メシアン作曲「世の終わりのための四重奏曲」1975年メイド・イン・ジャパン。メシアン自身がピアノを弾いている。
1941年、33歳のときに収容所で書いた曲。
このレコードは僕が買ったものではない。
大学時代の友人、宮下昭が持っていたレコードだ。
遺品のなかから、このレコードを選んだのは僕だ。
彼のぼろアパートで(たしか、国分寺だったか)、二人いっしょにこの曲を聴いた記憶はある。
でも、彼が死んで、このレコードの所有者となった僕が、これをターンテーブルに乗せたことは一度もない。
二度と聴かないために、遺品として選んだレコードというべきか。
YouTubeでメシアンの曲を聴いている。
黙示録とはこういうことか、と思う。
ヨーヨーマの演奏が胸を打つ。
チェロはもっとも人間の声に近い楽器という。
キニャールもチェロを弾く。
父方はオルガニストの家系。
メシアンもオルガニスト。
オルガンの即興曲を聴いた。
凄まじい。
バッハのマタイ受難曲よりすごいと思ったりする。
来年はキニャールを招聘して、学会のようなものが東京で開かれる。
キニャール本人は「学会」のような堅苦しいのはいやだと言っているらしいけれど。
僕も呼ばれている。
たぶん、世界でもっともキニャール作品を翻訳したから。
結局は回帰していくのだと思う。
最初の場面に。
そこから逃れようとした、その場面に。
また墓を掘るような文章になってしまった。
しばらくお休みします。
このブログにずっとお付き合いいただいた少数の読者のみなさん、ほんとうにありがとう。
スタンダールみたいに、Happy fewと言えないのが残念ですが、きっとまた別なかたちで、お会いすることになるでしょう。
そのときまで、さようなら。
(6月末には、このブログのページは消滅します)