*91 望郷

『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリは奇妙な言葉を残している。「ノスタルジーとは、何かよくわからないものにたいする欲望のことだ」(La nostalgie, c’est le désir d’on ne sait quoi.)

じつはこの言葉、どの著作に記されているのか、いまだに確かめることができないでいる。というのは、サン=テグジュペリの本を読んでいて発見したのではなく、Le Petit Robert というフランス語の定番辞書のなかの、nostalgie の項に用例として載っているのを若い頃に発見して以来、ずっと気になっている言葉なのだ。

かつては「得体の知れない欲望のことだ」と解釈していた。でも、今読み直してみると、「よくわからないものを求めること」だと解釈したほうが自然なような気がする。しかし、どちらにしても、ある意味では「よくわからない」定義だ。

ふつうは「郷愁」とか「望郷の念」とか、訳される。

でも、サン=テグジュペリの言葉は、過去を懐かしんだり、惜しんだりしているようには受け取れない。すでに存在した過去を振り返っているというより、まだ確定していない先の何かを見ている。つまり、得体の知れないものを希求している。

はたして「ノスタルジー」とは、そういうものだろうか?

 

 

感性という言葉も、ノスタルジーに負けず劣らず、考えだすとよくわからなくなる。はたしてこれは、その人の持っている資質を指す言葉だろうか。感受性とどう違うのだろうか。感性に経験はどんなふうに作用するのだろうか、云々。

このブログに扉として掲げている写真にしても、そこに自分の感性が反映しているのかどうか、それは自分で撮った写真のことなので、自分ではよくわからない。

ただこの齢になるまで、おびただしい絵画、造形、映像作品をみてきたことは確かだ。パリのルーブル、オルセーには何度足を運んだかわからない。言うまでもなく、パリにはほかにもたくさんの個人美術館がある。ドラクロワ、モロー、ロダン……切りがない。パリも、ノルマンジーも、南仏も、どれだけ歩き回ったことか。

東京で暮らしていたころには、気になる画家の回顧展があれば、必ず足を伸ばしたものだ。芋を洗うように混んでいる評判の展覧会ではなく、ひっそりとしている美術館がいい。

ある風景に目を奪われたとき、まずはファインダーを覗く。そこで角度も枠も定まればシャッターを切る。でも、微妙に落ち着かないときは、一歩、二歩、三歩、あるいは十メートル、あるいは数十メートル、対象に近づくこともあれば、遠ざかることもある。しゃがみ込んで低く構えることもあれば、カメラを高く掲げて、背面のモニタを通じて構図を確認することもある。

そのときの基準はどこにあるのか?

感性、だろうか?

よくわからない。

でも、なにか、頭か心のなかで、一生懸命あちこちの抽斗を開けたり、閉めたりしているような気がする。

いや、それ以前に、ある風景に出会って、それに心惹かれるとき、その体験は、例のデジャビュ(déjà-vu)、既視感に近いような気がする。あ、どこかで見たことがある!

でも、それがどこかの美術館、展覧会で見た絵の記憶なのか、記憶のなかに眠っている子供のころに見たどこかの景色なのか、それはわからない。

ただ、はっきりしているのは、ああきれいだ、ああ美しい、と思う心が動いていて、その心の動きを正確に伝えるためのフレームやアングルを、適切な露出やホワイトバランスを求めていることは確かであり、それを決める要素は、やはりたくさん見てきた造形作品にモデルがあるような気がしている。

感性といえば感性なのだが、憧れのような気もするし、嫉妬のような気もする。突き詰めていくと、やっぱり得体が知れない。

そもそも、美しさ、あるいは美しい、きれいだと感じることそのものが、得体の知れないものではないか。

『カラマーゾフの兄弟』の長兄ドミートリーだったか、『白痴』のラゴージンだったかの言葉(面倒だから確認しない)。
「美とはおっかないものだよ」

 

 

で、今朝、起きがけに、ふと思ったのだ。

それは、恋しい、ということなのではないだろうか、と。

手の届かないものを求める焦慮に近い気持ち。

英語では、I miss you. という。

フランス語では、Je te manque.という。

そこにないもの、そこにいないひとを切に求める気持ち。

それが、サン=テグジュペリがノスタルジーという言葉を通じて伝えたかったものではなかったか。

パイロットだったサン=テグジュペリは、サハラ砂漠に墜落して死んだ。

*90 エラム、ニネベ、バビロン……。

かつてメソポタミアの地に興亡した王国や都市の名を初めて気に留めたのは、高校の歴史の時間だったろう。

日本史にせよ、世界史にせよ、いわゆる暗記科目というのが、大の苦手だった。たぶん暗記能力に欠陥があるのだろう。棒暗記、丸暗記というのが、拷問のようにしか思えなかった。

それなのに、ある日、突然、歴史がおもしろくなった。「ある日、突然」というのは日付を憶えていないからだが、きっかけは憶えている。友人に教えられたか、本屋で見つけたかは忘れたが、薄っぺらい横長の「世界歴史地図」という参考書を手にしたときからである。

横書きの本と同じく、左側のページを右に繰ってゆく造りになっていて、原始、先史と呼ばれる時代から始まって、四大文明、古代ギリシア・ローマ、古代中国王朝の興亡というように順繰りとページは続いていく。

横に長いページの左三分の二が四色刷りの地図になっていて、右三分の一が縦に年号が並ぶ年表になっている。

本というよりは冊子に近いこの参考書を開いた途端、魅せられた。

見えないはずの時間を俯瞰している気分に満たされた。

その歴史地図は薄いけれども、情報がぎっしり詰まっていた。学校で使う教科書では小さく隅のほうに追いやられた国の名や都市の名が、ほとんど大国と同じ扱いで記載されている。

エラム、ニネベ、バビロンのような地名を口に出してみると、何か秘事めいた気分になった。突厥、ウィグル、渤海、契丹、遼……、西域に明滅する国々の名をうっとりと見つめていた。

死んでしまった国があり、死んでしまった言語がある。史書に記録がなければ、あったのかなかったのか、それさえわからない国もあるだろう。そこで暮らしていた民族もあっただろう。そこで使われていた言語もあったにちがいない。

名もなき国、名もなき民、名もなき人々、名もなき草花とは、書き記されなかっただけのことで、存在しなかったわけではない。存在しないわけではない。

といっても——繰り返すけれど——記録も遺跡もなければ、かつて存在したことさえわからない。でも、その見えない彼らは少数派ではない。黙しているが圧倒的多数を占めている。その無言には、意味こそないけれど、たしかな重さがあって、われわれの生存の根底を支えている。齢を重ねるにつれ、そんなことを思うようになった。

高校を出て大学に入り、東京でひとり暮らすようになってからポール・ヴァレリーという詩人・思想家の本を夢中になって読んだ一時期がある。普仏戦争とパリ・コミューンというフランス近代史における衝撃的な事件の勃発した一八七一年に生まれ、第二次世界大戦終結の一九四五年にこの世を去り、国葬にふされた大作家だ。

 

エラム、ニネヴェ、バビロンは漠として美しい名であり、それらの世界が完全な廃墟になったことも、それらがかつて存在したこと同様、われわれにとってはさほど切実なことではありませんでした。しかし、フランス、イギリス、ロシア、それらもまた美しい名になろうとしているのかもしれません。

 

こんなふうに書き出されている「精神の危機」というエッセイは、一九一九年にイギリスの雑誌の求めに応じて発表された。今から百年前のことだ。フランス、イギリス、ロシアは、それぞれ戦争と革命の前世紀をくぐり抜け、いまだ大国として健在であると言えるかどうかはともかく、たんなる美しい名になりはてたわけでもない。

アルジェ、アルジェリアもまた、美しい名だと思う。もちろん、死んだ都市でも、死んだ国でもない。漠ともしていない。国の人口は四千万以上、首都のアルジェには三五〇万人ほどの人が住んでいる。アフリカ大陸の北側にあって、地中海に面している。アトラス山脈の背後にサハラ砂漠を抱える大きな国だ。

かつて私はその国で二十代最後の年を過ごした。三十年以上前のことだ。個人的な記憶のなかでは、その地の時間はそこで止まっている。ニネベやエラム、バビロンと同じように。そこで濃密な時間をともに過ごした友人や同僚、知己とも、とうに音信は絶えている。あえて記憶を掘り起こすこともなかった。

アルジェ、アルジェリア。

それはまるで青春時代の終わりに読んで、本棚の隅にしまい込まれたままになった一冊の本のようだ。そのページを繰るのには、やはり勇気がいる。そこに紛れもなく愚かな自分がいるというだけでなく、得体も由来も知れない罪障感のようなものも潜んでいるから。