また日曜日の午後。ほぼ全面凍結した札内川で。
元旦は風邪を引いて寝込んでいたので、6日に撮影。
FujifilmのX-T20にキットとしてついている18~55mm(f/2.8~4)のズームレンズはとても優秀だと思う。物の輪郭がきりりと写るだけでなく、光の表情がじつに豊かに再現される。これも*94の写真と同じく、午後の3時頃に撮影。
ブログ本文の記事がなかなか更新できないので、せめて写真くらいはという心づもり。
11月25日に初雪らしきものが降り、12月6日の夜半から翌日にかけて20センチ以上の積雪になった。でも、その直前の日曜日(2日)は初冬にしては信じられないほどの小春日和で、澄みきった青空に真っ白い雲がところどころに浮かんでいた。午後3時頃、金色の西日を受けた風景。この写真をカメラマンの娘に見せると、印象派の絵みたいだねと言った。またある人に見せると、十勝ではなくヨーロッパの風景のようだという感想をもらった。長いことフランス文学の翻訳をやっていると、無意識までヨーロッパ化されてしまうのかと、しばし考え込んだ。
初雪が降ったのは三日前のこと。市内の雪は積もることなく融けてしまったけれど、日高山脈の麓までくるとうっすら雪化粧が残っている。毎度のことながら、ポロシリ岳(正確には十勝幌尻岳)が迫ってくると、思わず息を呑む。その威容に? 美しさに? 空の青さに? いずれでもあり、いずれでもない。その印象を写真に残すのは難しい。不可能というべきか。ひとつの山の存在感、その重量を画布にとらえようとして一生を費やした画家もいるのだから。
あまり見かけない取り合わせのように思えて。南郷神社は、札内川に注ぎこむ売買川(うりかりがわ)沿いにある小さな神社。川沿いの土手が楓の並木道になっている。
台風と猛暑のせいで、今年の紅葉は全国的に色がいまひとつ冴えないそうな(カメラマンの娘が言っていた)。だから、できるだけ鮮やかに見えるところ、時間を切り取ったつもり。
遠い太平洋の彼方から帰ってくる鮭を捕らえようとして、こういう釣り竿がずらり、湧洞の海岸だけでも、たぶん百本は並んでいるだろう。久方ぶりの秋晴れ。
帯広市内を流れる札内川に沿って南西に遡っていくと、戸蔦別(とつたべつ)川との合流点に出る(20km程度の道のり)。この分流をさらに南西方向に進むと、岩内川との合流点にさしかかる(15km程度)。戸蔦別川は日高山脈を源流として、同じく日高山脈の奥から流れ出る札内川と合流して、さらに十勝川に合流し、十勝川は悠々と流れて太平洋に注がれる。岩内川の源流は日高山脈の麓にある。岩内仙境と呼ばれる小さな渓谷の奥にたぶん湧水ポイントがあるのだろう。仙境とは言い得て妙、なかなか神秘的というか幽玄の気が満ちている。谷底に降りるための細くて険しい径が通っていて、降り口にはお不動さんが二体立っている(と書いているうちに、このお不動さんの写真を撮って、それをアップすればよかったと後悔している)。はじめて岩内仙境を訪れたのは、小学生のころだったと思う。低学年だったか、高学年だったかは忘れた。鼻先の突き出た貸し切りバスに乗せられたことは憶えている。当時(半世紀前!)の十勝は国道以外、どこも未舗装の砂利道だった。むかしのバスはガソリンや排気ガスやら人いきれやらで、車酔いする生徒がけっこういた。二時間近くバスに揺られていたような気がする。ネットのマップによれば37㎞、59分。でも、実際には——法定速度をほぼほぼ(!)守って走っても——この半分くらいの時間で岩内仙境の入口に着いてしまう。農道も含めて、どこもかしこも舗装されていて、背後から追いすがる車も、対向車もほとんどない。助手席は無人。ずっと音楽を流している。空は青く、山並みは静かだ。夏はとうに過ぎたけれど、まだ秋の色には染まっていない。ひとりなのでおもしろくも楽しくもないが、寂しくも悲しくもない。無目的に車を転がしてみたいと思うときは、精神状態は比較的いい。ただ外の空気を吸っているだけ。もちろん記憶は明滅する。でも、それも風に流されていく。そうやってこの命も人生も流されていくのだろう。ときどきそう思う。
前回とは逆に、たまには人間のいる風景をと思って。
市内から帯広空港に向かう裏道(?)で撮影。たまにはだだっ広いだけの、なんの工夫もない写真もいいかと。