*56 路傍の花

札内川高架線脇(X100T, ISO/200, 33mm, f/2, 1/90)

これはX100Tにテレコンヴァージョン(33mm)をつけて、マクロで撮ったもの(トリミングして拡大した)。X-T20より、なんというか、ちゃんと撮れる(撮っている?)感じがする。

*55 野草園の花

緑が丘公園、野草園(X-T20, ISO/200, 55mm, f/4, 1/60)

マクロで撮ったのではなく、ふつうに寄って撮り、トリミングして拡大した。もともとピントが甘かったかも(X-T20のPモード)。

*53 畑おこし

幕別町古舞(ISO/200, 18.8mm, 0.67ev, 1/125)

桜が開花し、あっというまに満開になり、散ってしまうころ、十勝平野はいちめん畝の縞模様を描く。

*52 咲きこぼれた桜

大通公園(ISO/200, f/5.6, 1/250)

これは今朝、X100Tで撮ったもの。解像度が1/5くらいに下がっているので、たぶん伝わらないと思うけど、この咲いたばかりの桜の、花びらの湿った感じ。じつに色っぽいではないか!(ピントが甘いのはマニュアルで、素人だから、悪しからず)。やっぱり解放F値2.0の単焦点だからこその絵じゃないかと思い、前回の発言は撤回(自戒のために削除しない)

*51 桜、満開。

緑が丘公園(ISO/200, 55mm, f/10, 1/270, velvia)

帯広気象台の発表によると、一昨日開花、本日満開とのこと。なんという慌ただしさ。ホンマかいなという気もする。

*50 洪水のあと

札内川(ISO/400, F/8, 1/1300)

カメラをfuji film X100Tから、同じくX-T20に替えてみた。その最初の作例。

X100Tは単焦点のコンパクトデジカメとしてとても優れたカメラなのだが、最近このスタイリッシュで禁欲的な(?)カメラに疲れてしまった。単焦点なので写真の精度は高い。とはいえ、やっぱり融通が利かない。ズームがないので、寄ったり遠ざかったり、人間の足を使わなければならない。つまりカメラのほうに自分を合わせていく必要がある。これは写真を修行と考えるならば、きわめてストイックだし、そのこと自体が健気で粋だとも言える。

しかし、それが徐々に窮屈に感じられてきたのである。

帯広に帰ってきた当初、朝の散歩が退屈で寂しく感じらることがままあったので、犬でも飼おうかと思った。しかし、すでに猫を飼っているし、出張も多いから、それはむずかしい。ならば犬代わりにカメラをというわけで、地元の家電量販店(百万ボルト)で安売りしていたニコンのデジタル一眼を買ってきて、写真の出来栄えなど考えず、ほとんどオートでバチバチ写真を撮っていた。

そのうち写真に欲が出てきた。もう少し上手に撮れないかな、と。

で、長女の婿さん(カメラマン)に相談したら、最近富士フィルムが頑張ってますよ、とのこと。迷った末にX100Tを選んだ。小形で見た目がクラシック(レンジファインダー)で格好がいい。パンケーキ形の単焦点レンズというのも、かえって新鮮だった。

ところが二年ほどこのカメラを使ってきて、どうも自分には馴染めないものがある、という気分になってきた。つまり、趣味人にはなれないということ。道楽にどっぷりはまれない。写真でもいいし、料理でもいいし、音楽でもいい。この世には途方もない凝り性の人がいる。そういう人のことを玄人はだしと言ったりする(玄人が裸足で逃げ出すほどの素人という意味で、素人高下駄というのもあるらしい)。

どうも、そういうのが好きになれないらしい。道楽にはまることのできる人は、ようするに自分のことが好きな人なのだろう(必ずしもナルシストということではなくて)。

自分は、自分のことが好きになれないタイプであるという結論に達したのである。目が悪いとは思っていない。舌が鈍いとも思っていない。耳が悪いとも思っていない。でも、その目と舌と耳を持っている自分が好きになれない。

そんなわけで原点(?)に戻ることにしたのである。ズームで距離を測り、あまり考えずにオートでバチバチ撮る。犬代わりとしてのカメラ。

たぶんもうカメラを新たに買うことはないだろう。画素数は今後さらに増えつづけ、新たな発明や工夫も出てくるだろう。でも、もう十分である。切りがない。

ちなみに今使っているオーディオは四十年近い昔に製造されたアナログ全盛時代の機器である(プリメインアンプはラックスマン、スピーカーはB&W)。これにCDプレイヤーやパソコン+DACをつないで聴いているけれど、何の不都合もない(修理やアクセサリーにかけた費用はばかにならないけれど)。

思えば、結婚したときにあこがれのニコンの一眼レフを買った(露出はオートで、あとはすべてマニュアルだった)。娘たちが大きくなり、家族揃って外出する機会も少なくなり、仕事が忙しくなったせいもあって、カメラに触る機会も少なくなった。本棚の隅で眠っていたそのカメラに最初に興味を持ったのが、長女だった。自分の娘がやがて写真の道に進むことになるとは、その時点では想像だにしなかった。

趣味人にはなれない。道楽にはまることもできない。でも、仕事だけは生涯をかけて全うしたい。写真を選んだ長女、編集者になった次女に望むことも、やはりそういうことになるだろう。

*49 東京の桜

聖蹟桜ヶ丘(ISO400, f/5.6, 1/420)

長女が聖蹟桜ヶ丘に引っ越ししたので、家から歩いて10分ほどの桜ヶ丘公園に行ってみた。妻が生きていたころ、一緒によく散歩したところ。東京から見ると多摩川をはさんで対岸にあたる川崎市の多摩区に住んでいたので、車を走らせれば30分足らずでこの公園に来ることができた。桜ヶ丘というだけあって、桜の名所である。中高年のアマチュアカメラマンがごつくて重くて高そうな望遠付きの一眼レフを三脚に固定し、それを肩にかついで丘の斜面を上り下りする姿を何人も見かけた。あいにく東京の桜は開花こそ早かったが、そのあと寒の戻りがあって、桜は三分咲き程度。この枝の桜は開いていたほう。思い出は内からこみあげるものなのか、それとも外からやってくるものなのか。「理性」の主人公ポルキウス・ラトロは、思い出は贈り物なのだ、と言った。花もまたそうだろう。誰からの、と問うことはせずに。

*48 春近し、

広野(ISO/200, f/8, ev1/3, 1/800)


日高山脈の主峰ポロシリ(幌尻)岳(2052m)の十勝平野寄りに十勝幌尻岳(1864m)がそびえている(ここに映っているのは残念ながら、それに連なる山並み)。その麓に八千代牧場があって、広野という地名がある。まだ雪が残っているが、黒土が透けてみえる。春近し、と言いたいところだが、三月下旬、四月に入ってもドカ雪が降ることがある。五月の連休だって、ときには。

*47 早春

札内川の岸辺(ISO/100, f/4, 1/150, WB晴)

じつは前回の写真(*46)の一週間前(2月12日)に撮った写真。手前左の影でわかるように夕日を背に撮った写真。鉄道写真マニアではないので、車両が写っているだけで照れてしまうが、春先の陽の強さを先取りしているかのようなので、残しておこうと思ったしだい。右下の雪だるまもご愛敬。