*13 パスカル・キニャールとマニエリスム(3)

『ヴュルテンベルクのサロン』をめぐって(承前)

 

シュノーニュの故郷ベルクハイムはヴュルテンベルク地方の片田舎にある。この町の丘の上にはプロテスタント教会があり、ふもとにはカトリック教会がある。アウグスブルグの宗教和議の妥協がそのまま町の構造をなしているというわけである。だがじつは、このベルクハイムは架空の町である。作者は小説のなかで、ベルクハイムという町が三つあり、一つはフランスのアルザス地方、あとの二つはドイツの、エルフト川とヤクスト川のほとりにあると書いているが、ヤクスト川のほとりにベルクハイムという町は存在していない(これについては著者に直接確かめた)。さて、その架空の町のカトリック教会はどのように描写されているか。

 

町の下のほうにある教会は——そこにわが家の寄進したオルガンがあったわけだが——、とても美しいと同時にとても醜く、ちぐはぐな建物だった。外陣は13世紀のポワトゥー様式で、これに——たぶんパリの工房が施工したものだろうが——20メートルほどの小さな周歩廊がくっついていた。正面は19世紀のもの——つまりルイ16世様式だった。  入ってすぐ左手には、陰惨で見るからにサディスティックな大きな画布——辱めを受けたキリスト、子供の私はこの絵におびえたものだった——がかけられていた。実を言うと、この絵の前にはイグナーツ・ギュンターの、あのとほうもなく美しくみだらなマニエリスム調のバテシバ像が置いてある。

 

ベルクハイムが架空の町である以上、その教会も架空であり、その教会にある「マニエリスム調のバテシバ像」も架空である。あるいは、作者がどこか別の町の教会か美術館で見たギュンターの作品を遊び心で拝借したのかもしれない。だが、ここで重要なのは、この「とても美しいと同時にとても醜く、ちぐはぐな」教会が、主人公の幼年期の分裂した心象風景そのものであり、ある意味ではデフォルメされ、ミニチュア化されたヨーロッパの自画像だということである。この教会にはロマネスク的、ゴシック的なものと19世紀的なものが混在している。しかも、町にはカトリック教会とプロテスタント教会が同時に存在している。それはヨーロッパの町にあって珍しい光景ではない。いまだにヨーロッパはかつての宗教対立の遺制を生きている。戦後のイデオロギー対立の構図もまた、おそらくその「繰り返し」なのだ。この作品でキニャールはたびたび「繰り返し」という言葉を使っているが、歴史は繰り返すなどという呑気なことを言っているのではない。ヨーロッパの政治支配とその心理的抑圧のパターンを「繰り返し」と呼んでいるのである。彼は昨年3月に刊行された『性と畏怖』(註12)のなかで、そのパターンの出発点が共和政ローマから帝政ローマへの転換とそのイデオロギーとしてのキリスト教の成立にあることをローマ人の性意識から解きほぐし、次のように言っている。

 

ローマ世界を帝政に改造した56年間のアウグストゥスの治世に、ギリシア人の嬉々として精緻なエロティシズムは畏怖をともなう憂愁に変化した。この移行はたった30年ほどで成し遂げられたにもかかわらず(前18−後14年)、今もなお私たちを包みこみ、私たちのパッションを支配している。キリスト教はこの変容のひとつの帰結でしかない。

 

フリートレンダーと並んでマニエリスム研究に大きく貢献したドボルシャックの師アイロス・リーグルは、それまでギリシア美術の衰退あるいは野蛮化として省みられなかった後期ローマ美術に固有の美的価値を認め、近代の主観主義的な無限空間の把握の端緒が、キリスト教の影響を受けたローマ末期の美術にあることを指摘している(註13)。キニャールもまた、帝政ローマのポルノグラフィックな壁画と静物画を集めた『性と畏怖』というこの作品のなかで、人間存在の死角を見つめているかのようなローマ人の「平行の視線」に注目し、「ギリシア人の嬉々として精緻なエロティシズム」から「ローマ人の畏怖をともなう憂愁」への変化を見つめている。キニャールの方法論からすれば、その移行はルネサンスからマニエリスム・バロックへの移行とパラレルであり、その底にも性意識の変質が流れているということになろう。それは言うまでもなく、プロテスタンティズムの屈折した性意識の問題である。そしてこの性意識のパターンは——ここでは詳しく論拠を展開することはできないが——コミュニズムあるいはマルキシズムにも受け継がれているはずである。その抑圧された感情は『ヴュルテンベルクのサロン』では徹底的な故意の言い落とし(レチサンス)によってあぶりだされているというのが、私の個人的解釈である。

この小説は、1963年3月の「私」とセヌセの出会いから始まり、作品刊行と同じ年の1986年に終わる。物語は、その二人の友人とイザベルの三角関係、そしてその関係が破綻した後の「私」の女性遍歴に終始する。「私」は「濃い赤の隆起なめし革で装丁された、まるで司教の祭服のような小さな手帳」に日記をつけているという想定になっているが、政治的事件のことはまったく記されていない。たとえば68年5月についてもナデイダ・レフという歌手との出会いのことしか書かれておらず、「思い起こせば、70年代は猛勉強と試験で明け暮れた日のようだった。私は心の底で、68年の5月と6月を惜しみ、ナデイダのほっと一息つける肉体に出会ったこと」を懐かしむだけである。小説の終結部では、「私」が古い友人と再会するシーンが唐突に挿入されている。

 

「憶えているだろ」と彼は言った。「豚箱での十日間をさ!」  私は投獄されたことなど一度もなかった。鉄格子の向こう側に入ったこともない。吹聴できるような苦労話はいっさいない。

 

 

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図4.ヴァン・デル・ウェイデン「婦人像」

パスカル・キニャールの作品の特徴は、ユダヤ・キリスト教的倫理観のしがらみを断ち切り、エロスの全面的な解放を求めながらも、禁欲的な姿勢を崩さないところにある。これはもっぱら彼の資質によるものなのだろうが、同時に、心理的抑圧装置としての役割を果たしながらも、その内部および周辺におびただしいエロスと美を取りこんできたキリスト教文化の豊かさを抜きにしては語ることはできないだろう。だがこの豊かさはそもそも矛盾に満ちている。ユダヤ教および初期キリスト教の理念に従うならば、あらゆる偶像は否定されるべきである。だが、偶像崇拝を禁じるビザンチン教会においてさえ、あの美しいイコンまでは否定できなかった。あるいは、神の子イエスの死があれほどまでに官能的に、ときにはグロテスクなまでリアルに描かれるのはなぜなのか。あるいは教会に響く暗闇の朝課(ルソン・ド・テネブル)がときに異様なほど蠱惑的なのはなぜなのか。素朴な目と耳でキリスト教芸術に接するとき、私たち「異教徒」が受ける不思議な感動は、じつはパスカル・キニャールの作品を読むときの感動にそのままつながると言っていい。

最後に、ワシントンDCのナショナル・ギャラリーに所蔵されているヴァン・デル・ウェイデンの〈婦人像〉を掲げておこう(図4)。小説の話者シュノーニュは、1978年5月のある夜、音楽学校を出たところで、8年前にともにレコーディングしたことのあるジャンヌという女性ヴァイオリニストに出会い、夜をともにする。

 

彼女はみごとに老けていた。ウールの長いコートを着て、手にはレッスン用の小型ヴァイオリンを持っていた。クラーナハの肖像画のようでもあったが、むしろ——顔は苦しげで——、しかめた目がヴァン・デル・ウェイデンの描いたマリー=マドレーヌの目そっくりで、ウェストは細く、胸は豊かで引き締まり、悲劇的で青い目をしていた。

 

ヴァン・デル・ウェイデンのこの肖像画のモデルは、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンの庶子マリー・ド・ヴァランジャンではないかと推測されているらしいが、ここでは考証的事実はどうでもいい。この女性が内部に湛えている静謐な官能性を形容する言葉を私は知らない。「私」は、ジャンヌの肉体について次のように言う。

 

クラーナハ、ヴァン・デル・ウェイデン、これらの名前を通じて私が示したかったのは顔の表情ではなく、ある色だった。年齢によっておそらく肌は衰え、首筋や胸もゆるやかに生気を失っていたことはたしかだが、同時に年齢に洗われることによって、あの軽いバラ色、とても稠密で、とても透明な磁器のような色が強調されているかのようだった——あるいはむしろ、私はいつもそれらの肉体に、たぶんすでに失われた官能性を、きわめて鮮烈だが、ピューリタン的に抑えられたままの荒々しさ、みだらなものを想像してきたとも言える。

 

このプルースト的な、あからさまにマニエリスティックな文体はこの小説の基調をなすものである。だが、この小説はけっして饒舌ではない。形容と比喩を何重にも重ねる言葉の底につねに重い沈黙の通奏低音が流れている。それは作家がこの作品をみずからに課した責務のようなものとして、あるいは見えない敵に対する戦いのようなものとして書いていることに由来しているように思える。そして、作者がその作品にさりげなく忍ばせた絵画——たとえば、ここにあげたヴァン・デル・ウェイデンの作品——をじっと見つめていると、彼が本当に愛しているのは、歴史の僥倖から生まれたかのような盛期ルネッサンスの作品でもなければ、歴史のはざまで叫び声をあげているマニエリストのエキセントリックな作品でもなく、むしろ15世紀のフランドル絵画やバロック時代の小さな静謐な作品であることが実感されてくる。

いかにもひやりとした広い額とぽってりと厚く柔らかい唇の対比、きわめて知的だが熱い情念を奥に秘めている瞳、頭を覆う透けた白布と胸元の簡素な装飾。このヴァン・デル・ウェイデンの婦人像は、フォンテーヌブロー派の装飾過多のエロティシズムよりもじつははるかに官能的で豪奢な要素を内部に湛えているように思われる。それは冒頭にあげたボージャンの静物画がそうであるように、人間がこの世に存在することの根本的な矛盾が、自信にあふれた画家の手(マニエラ)とそれを抑制する意志力との均衡からごく自然ににじみでているからだろう。

『ヴュルテンベルクのサロン』は官能小説である。人間にとって官能とは何かを問うという意味で官能小説である。

 

ジャンヌとともに暮らした数年を振り返るとき、私には、愛よりはむしろ欲望がもたらす感覚だけがたしかな価値を持っているように思えてくる。たとえそれがあまり長続きせず、あまり失望が大きく、忘れ去られやすいように見えたとしても。快楽(ヴオリユプテ)は宇宙のはるかかなたで光を放つ星のようなものだが、その輝きは、天空全体の広がりのなかでほんのわずかの面積しか占めていないくせに、全人生をしびれさせ、導く。

 

宗教=思想は永遠の生を希うが、芸術は一瞬の官能の炎に永遠を見る。ヨーロッパのすぐれた芸術の魅力はこの相容れない二つのベクトルの交錯にある。パスカル・キニャールがこの「文化的な伝統に首までつかった」作家であることだけは否定しがたい。(了)

 


(12)Le sexe et l’effroi, Gallimard,1994 (前出『ユリイカ』1994年11月号の『理性』の解題を参照されたい)
(13)前出『マニエリスムとバロックの成立』の「訳者あとがき」およびマクス・ドヴォルシャック『精神史としての美術史」(中村茂夫訳、 岩崎美術社)の「解説」に基づく。

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