*2 文字どおり、机の話です

(2014年5月4日付の産経新聞に発表。「翻訳机」という連載コラム)

 

文字どおり、机の話です。

ありとあらゆる雑多な翻訳を引き受けていたころ、住まいが狭く、すでに子供も二人いたので、仕事机など入る余地もなく、食卓の上で仕事をしていました。仕事が増えてきて、さすがに手狭になったので駅前に独立した仕事部屋を借りました。そのときも新しくデスクを購入することはせず、そのまま同じ食卓を使うことにしました。広さと高さがちょうどよかったのです。テーブルと同じくらいの面積のデスクを買うとなると、懐がさびしかったということもあります。

それからずっと同じテーブルを使いつづけました。

今は四十年暮らした首都を離れ、生まれ故郷で老いた母親と二人暮らしをしています。

テーブルはどうしたか?娘が使っています。やはり仕事机として。東京を離れるとき、いろいろなものを二人の娘に残していきましたが、次女には愛用のテーブルを譲りました。どういうわけだか、この娘もフリーの編集者として仕事をしているのです。このテーブルが使いやすいと言っています。

じつは長女にもテーブルを譲ったのです。こちらは、わたしが駅前のワンルームで仕事をしていたとき来客用に使っていた丸テーブルです。拡張できる仕組みになっているので、重宝しているようです。長女もまたどういうわけだかフリーで仕事をしています。こちらは写真家ですが。

父親も二人の娘もフリーなので、話が合います。三者とも本や雑誌にかかわる仕事が多いので、なおのこと共通した話題が多くなります。ネット回線を使えば無料で——しかも映像つきで!——電話がかけられるご時世ですから、毎日のように話をしています。遠く離れて住んでいる気がしません。

十年ほど前に妻を亡くしました。娘たちは結婚し、独立した所帯を持つようになりました。家族四人で暮らした住まいは、男ひとりで暮らすには広すぎました。父はとうに他界して、ひとり暮らしの母が八十をこえたので、生まれ故郷に戻ることにしたのです。

テーブルの思い出話を書いていると、家族の団らんが自然と脳裡に浮かんできます。料理の好きな妻でした。母の背中を見て育ったせいか、二人の娘も料理好きです。わたしも毎日のように何か作っています。そして、それをタブレットで撮影し、娘たちに電波で送ります。娘たちもその日に作った料理を撮影して送ってきます。

翻訳の中身の話ではなく、たんなる机の話に終始してしまいました。今年は「ツィッター文学賞」と「本屋大賞」の翻訳部門で賞などいただいたのですが、いつまでたっても場違いなところで仕事をしているという気分が抜けません。でも最近は、思いがけず賞を頂戴したり、娘たちが父親と同じようにフリーの職業についているのを見て、人生はふしぎなところだという感慨がわきあがってくることがあります。

本屋大賞ー6

*1 メシアン(2012年5月24日のブログ)

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あまりにも間があきました。2ヵ月以上。

吉本隆明の死と、わが友近藤渉の死のことを書いて、それっきり。

それっきりになってもいいかと思っていた。どうせ6月末になれば、このアップル提供のmobile.meというブログの軒下(?)もなくなるし、ちょうどいい潮時かと・・・。

ブログを書きつづけることで何かが開けるかと思っていたけれど、書いているうちにまるで墓を掘っているような気になってきた。それは本意ではないというか、本意がどこにあるのか、当人にもわからなくなってきたというか・・・。

そして、メシアン。

没後20年ということで、フランスでも日本でもCDの全集なんかが出たりして盛り上がっているようです。

でも、そんなこと、どうでもいいことだ。

どこから書けばいいのか。

Pascal Quignard ou la littérature démenbrée par les musesとう本があります。(訳せば、パスカル・キニャール、ミューズたちに引き裂かれた文学)

2010年にソルボンヌで開かれた学会のような、キニャールと親しい画家や音楽家が集まって、対談やらコンサートを催した記録のような本。対談の記録やら、短い論文やらが集められています。DVDも付録についています。

このなかに、エマニュエル・レヴィナスの息子ミシャエルとキニャールの対談が入っている。ミシャエルは音楽家で、エマニュエル・レヴィナスはキニャールの大学時代の恩師。

こんな事実を説明しているのも煩わしいくらいだ。

この対談で、僕は初めて、キニャールが、現代音楽の泰斗というのか、先駆者というのか、オリヴィエ・メシアンに深く傾倒しているということ—— 深い親近感を抱いているといったほうがいいのもしれないが、適切な言葉が浮かばない——を知った。

手もとに一枚のレコードがある。

オリヴィエ・メシアン作曲「世の終わりのための四重奏曲」1975年メイド・イン・ジャパン。メシアン自身がピアノを弾いている。

1941年、33歳のときに収容所で書いた曲。

このレコードは僕が買ったものではない。

大学時代の友人、宮下昭が持っていたレコードだ。

遺品のなかから、このレコードを選んだのは僕だ。

彼のぼろアパートで(たしか、国分寺だったか)、二人いっしょにこの曲を聴いた記憶はある。

でも、彼が死んで、このレコードの所有者となった僕が、これをターンテーブルに乗せたことは一度もない。

二度と聴かないために、遺品として選んだレコードというべきか。

YouTubeでメシアンの曲を聴いている。

黙示録とはこういうことか、と思う。

ヨーヨーマの演奏が胸を打つ。

チェロはもっとも人間の声に近い楽器という。

キニャールもチェロを弾く。

父方はオルガニストの家系。

メシアンもオルガニスト。

オルガンの即興曲を聴いた。

凄まじい。

バッハのマタイ受難曲よりすごいと思ったりする。

来年はキニャールを招聘して、学会のようなものが東京で開かれる。

キニャール本人は「学会」のような堅苦しいのはいやだと言っているらしいけれど。

僕も呼ばれている。

たぶん、世界でもっともキニャール作品を翻訳したから。

結局は回帰していくのだと思う。

最初の場面に。

そこから逃れようとした、その場面に。

また墓を掘るような文章になってしまった。

しばらくお休みします。

このブログにずっとお付き合いいただいた少数の読者のみなさん、ほんとうにありがとう。

スタンダールみたいに、Happy fewと言えないのが残念ですが、きっとまた別なかたちで、お会いすることになるでしょう。
そのときまで、さようなら。
(6月末には、このブログのページは消滅します)