*22 川田絢音詩集

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(青土社1986年初版)

この人の詩集が思潮社の〈現代詩文庫〉に入ったことはけっこう前から知っていた(と思う)。

気になる詩人のひとりで、少なくとも『朝のカフェ』という詩集は新刊で買った。奥付には1986年発行(青土社)とある。

80年代の終わりころまでは、よく詩集を買っていた。目立つところでは『ウンガレッティ全詩集』(河島英昭訳、筑摩書房、1988年)、『カヴァフィス全詩集』(中井久夫訳、みすず書房、1988年)、二つとも本棚の特権的なところで眠っている。

人と待ち合わせるのに、神田神保町の東京堂で時間を潰していたら、〈現代詩文庫〉版の川田絢音詩集が目に飛び込んできて、迷わず買った。

こういう気分になるときとならないときがある。こういう気分になるときは、たぶん何かがよい方に向かっているときだと勝手に思っている。

この十年は、あまりに人が死にすぎた。

詩集は忌むべきもののひとつだった。

川田絢音の詩集を読んでいて、不思議に思うことがでてきた。

私はなぜ、この詩人がイタリアに住んでいることを知っているのか?

私が所有している唯一の詩集『朝のカフェ』には、そんな情報はいっさい記されていない。

詩集は忌むべきもの、とはいえ、本屋に行っても詩集の棚には近づかなかったというわけではないから、今は机の上に置いてある思潮社〈現代詩文庫〉の『川田絢音詩集』(1994年初刷)をどこかの本屋で立ち読みしてそれを知り、買わずに棚に戻したのだろうか?

いや、そのずっと前から、そのことを知っていたような気がする。
『朝のカフェ』をどうして買う気になったのか? 彼女がイタリアに住んでいることを知ったから? でも、この詩集にはそれを証拠立てる記述はない。詩のなかにイタリアの地名くらいは出てくるが、そんなもの、作者がそこに住んでいる証拠にはならない。

それは、ま、いいか。

ウンガレッティ、カヴァフィス、川田絢音には共通していることがある。南欧の光と影。

そして、今になってはたと気づかされるのだ。これらの詩人の詩のなかに、きっと自分はアルジェで初めて体験した地中海の光と影を無意識のうちに(便利な言葉だ)追い求めていたのだろうと。僕が二度目のアルジェリア滞在から帰ってきたのは、1984年のことだから。

東京堂で川田絢音の詩集を買ったのは——確定申告のために取ってあるレシートによれば——(2010年)6月7日の14:09pm。そして、青山ブックセンターで須賀敦子の『イタリアの詩人たち』を買ったのは、同日18:34pm(お、なんだか松本清張みたいになってきたぞ)。東京堂で時間を潰している時点では、その日のうちに青山ブックセンターにまで足を伸ばすつもりはなかったのだ。

久しぶりに川田絢音の詩を読んで、唖然としている。

須賀敦子の紡ぎ出す、20世紀イタリア詩の世界となんと共通していることか。

当たり前だと人は言うか?

イタリアに住んでいるからといって、イタリア人みたいな詩が書けると言うのか?

須賀敦子は言う。

 

おおよそ死ほど、イタリアの芸術で重要な位置を占めるテーマは他にないだろう。この土地において、死は、単なる観念的な生の終点でもなければ、痩せ細った生の衰弱などではさらにない。生の歓喜に満ち溢れれば溢れるほど、イタリア人は、自分たちの足につけられた重い枷——死——を深く意識する。(『イタリアの詩人たち』)

川田絢音はこう記す。

 

青い空が素速いので

鏡ににじむ生あたたかい血を舐めなければならない。(詩集『空の時間』)

 

だが、これはあくまでもイタリアへ旅立つ前の詩の断片だ。

イタリアへ行くとどうなるか?

 

隣に住む老人の咳がきこえる
 男は眠っていて
 外を 重いトラックが何台も通る
 夜明け前に
 男が工場へ行く
 オートバイの音が消えて
 わたしは街の方へ歩いていく
 ピサ通りは くらい
 じぶんのような塊りがころがっているのではないか
 と 振りかえる。(「ピサ通り」(詩集『ピサ通り』1976年)

 

観念的な青空は姿を消す。だが、しっかりとした距離感のある——地に足をつけた——夜の街が息づいている。これはもうパヴェーゼだ。カミュの『異邦人』のにおいだってする。

ウンベルト・サバの一節を引いてみようか。

 

一日で、いちばんいいのは

宵の時間じゃないか? いいのに

それほどは愛されてない時間。聖なる

休息の、ほんの少し前に来る時間だ。

仕事はまだ熱気にあふれ、

通りには人の波がうなっている。

四角い家並みのうえには、

うっすらと月が、穏やかな

空に、やっと見えるか、見えないか。(「われわれの時間」——『ウンベルト・サバ詩集』須賀敦子訳、みすず書房、 1998年)

 

連想を急ぎすぎているかもしれない。

でも、たしかなことは、川田絢音がイタリアに旅立ったのは1969年のこと、須賀敦子がイタリアから日本に帰ってきたのは、1971年だということ。

この二人の詩人——須賀敦子を詩人と呼んでなんの不都合があるか——はなんという時代の裂け目にすれ違っていることだろう。

川田絢音はいまもイタリアに住んでいるのだろうか。彼女は1940年生まれ(旧満州のチチハル)だから、もう70歳を迎えるか、なっているかだ。でも、『朝のカフェ』の帯の小さな写真でも、現代詩文庫の裏表紙の写真でも、彼女は永遠に少女のままだ。

作家にとって、作品のなかで成熟したり老いたりするということはどういうことなのか、ふと考えてみたりした。

(2010年6月14日に公開した文章に少し手を入れた)

*21 資本論

東京では午前中は自宅で仕事をし、午後からはファミレスで本読みをして、夕方に帰ってくるという習慣が根付いていた。
『365日のベッドタイムストーリー』という本が十万部を突破してくれたので、仕事に余裕が出てきた。ふつうは午後にファミレスに行っても仕事がらみの本を読むことが多かったのだが、この機会だから、時間を忘れて没頭できるような本、読むのに時間がかかる本を読んでみようと、途中まで読んで本棚でそのまま眠っていた『資本論』に挑戦してみることにした。

学生時代に戻ったような感じで、毎日うきうきとファミレスに出かけていった。ものを考えさせてくれる本というのは、気分がいい。小説を読むよりおもしろい。そこに自分の地金があるような、ある新鮮な自己発見があった。

それが遅すぎるかどうかは別にして、『資本論』はとにかくおもしろい。けれども、マルクス先生みずから「なにごとも最初がむずかしい」と言っているように、第一章の商品分析の部分がとりわけむずかしい。

それでもなんとか、この本を読み解くための「へそ」のようなものは見つけた。すべてのすぐれた書物がそうであるように、それは第一行目にある。

 

資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわれの研究は商品の分析からはじまる。」(資本論第1巻、筑摩書房「マルクス・コレクション」)

 

この文の発端はすでに『経済学批判』の冒頭に記されている。

 

一見するところブルジョワ的富は、ひとつの巨大な商品集積としてあらわれ、個々の商品はその富の原基的定在としてあらわれる。しかもおのおのの商品は、使用価値と交換価値という二重の視点のもとに自己をあらわしている。」(岩波文庫『経済学批判』)

 

マルクスは、一個の商品が「使用価値」と「交換価値」という二重の要素の組み合わせによって、プラスとマイナスのイオンの結合形態のようなものとして成り立っていることを発見した。

その発見の根はアリストテレスにある。

 

なぜなら、どの物にも二通りの用途があるからである。ひとつは物としての物に固有の用途であり、もうひとつはそうではない。たとえばサンダルは履物として役立ち、同時に交換可能でもある。どちらもサンダルの使用価値である。なぜなら、自分にはないもの、たとえば食物とひきかえにサンダルを交換する人は、自分自身でもサンダルをサンダルとして使用するからである。しかしそれ〔交換〕はサンダルの自然な使い方ではない。なぜならサンダルは交換のために存在するのではないからである」(アリストテレス『政治学』第一巻、第九章——前掲「マルクス・コレクション」から引用)

 

アリストテレスは「〔交換は〕サンダルの自然な使い方ではない。なぜならサンダルは交換のために存在するのではないからである」という。

これを人間に当てはめたらどうなるか。

どの人にも二通りの価値がある。ひとつは人としての人に固有の価値であり、もうひとつはそうではない。他の誰とも交換可能な労働力としての価値である。しかしそれは人の自然な使い方ではない。なぜなら人は交換のために存在するのではないからである・・・・・・。
『資本論』を読んでいると、ホモサピエンスという種の特徴は、意識だとか、言語だとかにあるのではなく——それなら他の動物にも意識や言語はあるだろう——、交換を目的とした「商品」にあるのではないか、とさえ思えてくる。

人間社会の富の要素である「商品」は、社会を循環・流通する品物であるだけでなく、その内部にすでに社会を宿している。人間の今に至るまでの時間が宿っている。あたかも原子の構造のなかに宇宙の構造が宿っているかのように。

そのことが見えてくると、めまいのようなものを覚える。
『資本論』に夢中になったことと、今回自分の生まれた場所に帰ろうと決断したことのあいだには関係があるのか、ないのか。そのことはこれから少しずつ見えてくるのだろう。いずれまた『資本論』を読み直すこともあるだろう。そのときにどんな感想を持つか、自分でも楽しみにしている。

(2009年5月に書いた旧ブログの記事を改稿)