*92 正月の身辺

このところ、ちょっと気張ったものが続いたので、正月の三日でもあることだし、お口直しに(?)身辺雑記風のものを当て所なく書いてみようかと思う。

同じ屋根の下で暮らしている母は今年九十二歳になる。十二月には自分の寝室で二回、いつも買い物に行くスーパーの駐車場で一回転んだ。さいわい骨を折ることもなく、手足に痺れが出ることもなくすんだ。でも、本人は惚けることをひどく恐れて、毎晩子守唄のようなものを自分に歌い聞かせて眠りについている。

家は玄関のところが吹き抜けになっているので、深夜、母の歌声が一階から聞こえてくる。いささか怪談じみているというか、横溝正史的というか、さすがに心穏やかではいられない。

十年前に東京から連れてきた猫——シマという——のほうは、今年十七歳になる。猫の年齢を人間の年齢に換算すると、八十半ばくらいになるらしい。母ほどではないが、高齢にはちがいない。

昨年の春先から夏の初めにかけて、食餌をすべて吐いてしまうようになって、一時期は体重が二・二キロまで落ちた。近くの動物病院に連れていくと、甲状腺ホルモンの分泌を抑える薬を処方してくれた。これが劇的に効いて、今は三・六キロ前後まで体重が戻り、階段も元気よく駆け上がったり、駆け下りたりしている。

猫のシマがぐったりして身動きしなくなったとき、最初に思ったことは、母と猫が同時に逝ってしまったらどうしようということだった。すぐに葬儀のことが頭をよぎった。

妻が死んだときは、文字どおり近親者だけに声をかけて狭い自宅で慎ましい葬式をあげた。雷が鳴り、大雨が降った。傾斜地に建てられたメゾネット式の集合住宅に棺を運び込み、運び出す作業はたいへんだった。そんなことも思い出した。

験直しではないけれど、大晦日には一念発起して(?)、久しぶりにおでんを仕込んだ。昆布でだしをとったあと、荒けづりの鯖節と煮干しを十分ほど煮出してから目の細かいざるで濾したものに、花かつおをたっぷり入れ、二番だしをとった。鰹節が浮かんできたところで火を止め、鍋底に沈んだら取り出す。

大根は四センチくらいの厚さに切って皮をむいて面取りし、一握りの半分くらいの米を入れた水を沸かして一時間ほど下煮をした。キャベツの葉を二枚ほど茹でてしんなりさせてから、芯の部分を取って二枚に切り分け(合わせて四枚)、それで豚のひき肉と長ネギのみじん切りを練り合わせて塩胡椒で軽く下味をつけたものを包み、かんぴょうでしっかり縛った。あとはこんにゃく、はんぺん、がんも、昆布巻き(だしをとった昆布をくるくると巻いてかんぴょうで縛った)、ゆで卵などを投入して、あとはただことこと煮るだけ。

夕方には、小ぶりの牛腿の塊をフライパンで全体に焼き目をつけたあと、アルミホイルで包み、さらに厚手の布巾でくるんで一時間ほど放置。これで、なんちゃってローストビーフのできあがり(味付けの詳細はうるさくなるので省くけれど、決め手は自家製の梅酒とにんにく醤油)。

老いた母も懸命に筑前煮などを作った。市販のなますとか黒豆、数の子、かまぼこ、お隣さんからいただいた昆布巻など、三段のお重に盛り付ければ、立派なおせちの出来上がり。酒は学生時代の友人がお歳暮に送ってくれた栃木産の吟醸酒。

完璧な大晦日でした。

元旦の夜のおでんは、さらに味が染みて、申し分なし。

本年が佳い年でありますように。

みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。