*99 『ムルソーの食卓』連載を終えて

連載というより分載といったほうが適当かもしれないが、まぁ、どうでもいいことだろう。分載にしないで、全文一挙掲載——あるいは章ごとに分割して——という方法もあったが、それではいささか乱暴なような気がして、できるだけ丁寧に分割し、それぞれの冒頭部分を小見出しにする——多少手を加えたところもある——という方法をとった。小見出しに惹かれて開いてみて、ほかも読んでみたいと思ってくれるなら本望、そうでなければそのまま閉じてもらえばいい、そんな心算である。

コンピュータの計算では、全部で10万字ほどあるので、単純に400字詰原稿用紙の枚数に換算すると250枚になる。実際に原稿用紙を埋めていくと、改行したり、ページを変えたりしたところに空白ができるので、300枚近くになるかもしれない。電子本のフォーマットになっているのならいざ知らず、これだけの分量を最初から最後までコンピュータあるいはスマートフォンやタブレットの画面で読み通すのはほとんど不可能と言っていい。

なので、小分けにして、どこからでも覗けるように工夫したのである。

これがこの作品の最終形態である。本にする——つまり自費出版する——予定はない。本という形式には——翻訳という形で何十冊も出してきたので——とくに愛着もこだわりもない。

ジャンルという意味での形式にもこだわらなかった。むしろジャンルを横断したかった。だから、この作品には小説の要素も批評の要素もあるし、随所に翻訳——拙訳——も散りばめられている。翻訳はそもそも、すでにある作品とその形式、文体をなぞる作業である。その意味では形式そのものである。私はそこから自由になりたかった——たとえいっときでも。

私はなろうとして翻訳家になったわけではない。いつのまにか翻訳家になっていたというのが正直なところなのである。

でも、発端ははっきりしている。

二十代の終わりから三十代へと跨ぎ越す時期、アルジェリアに二度渡った。そのときの経験がなければ、翻訳という仕事に手を染めることはなかっただろう。

たどり着いた地点もはっきりしている。

東京から生まれ育った町に帰り、還暦を過ぎてまもなく、アルルに本拠を置く翻訳学校から、短期の講師として呼ばれたのである。アルルはゴッホの才能が開花した街であるし、足を伸ばせば、セザンヌのエク=サン=プロヴァンスもあるし、若いとき毎日のようにアルジェから地中海を隔てて見つめていたマルセイユもある。

私はそこに三十数年の歳月をかけてたどり着いたのである。

自作については、多くを語らないほうが賢明だろう。

人は自分の言っていること、していることがわからない。いわんや自分の書いたもののことなどわかるはずがない。

そのくせ、こんなことを自ら投稿欄に書き記すのは、固定ページには読者がコメントを書き込む欄がないので、もし感想などお持ちの方があれば、ここに書き込んでいただければという願いからである。この作品を開かれたものにしておきたいのである。ただし、メールアドレスは私には伝わりますが、公開されることはけっしてありませんから、ご安心ください。