思い直して、プルーストの話を続けることにしよう。
暑い夏の日が続いていた。ほぼ半世紀前のことである。夏休みに帰省した私は毎日のように図書館に通っていた。駅前にある今の新しい図書館ではない。今よりずっと西寄りの、市役所の裏手にあった小さな図書館である。木造モルタルだったような気もするし、小さいながらもコンクリート造りだったような気もする。二階建ての建物の玄関を入ると、たしか右手に階段があって、二階が閲覧室になっていたように思うのだが、これも定かではない。
ただし、この年の夏がとても暑い夏であったことはまちがいない。当時、エアコンの装備などあるわけもなく、開け放した窓からときおり暑気を含んだ風の吹き込む閲覧室で、こめかみからしたたり落ちる汗を拭いながら本を読んでいたことだけは鮮明に憶えている。
読んでいたのは、プルーストの『失われた時を求めて』。個人完訳はまだ出ていなかった。たしか十人くらいのフランス文学専門の先生方が手分けして訳した六巻本で、箱が印象派風の絵で飾られていたことまでは記憶に残っているが、それが誰の絵かはもうわからなくなっている。
今はもう手元にないのだから、確かめるすべもない。
読み終わって、しばらくたってから人にやってしまったのである。
すでに読み終わった時点で、もう二度とこの作品を読み返すことはあるまいと思っていた。読了するまでに二週間か二十日くらいはかかっていたはずである。それなのに感動もなければ満足感もなく、ただ徒労の感覚しか残らなかった。
失われた時を求めて、その時は見出されるどころか、ついに語り手(著者)は時間に捕縛され、囚われ、呑み込まれてしまったとしか思えなかったのである。
そして、フランス文学も、文学それ自体も、ずいぶん自分からは遠いものだなと思った。文学部に入ったことも、専攻にフランス文学を選んだことも、何か重大な過ちを犯したような気さえした。
それがどういうわけか、いつのまにかフランス語の翻訳者となり、数十冊もの現代フランス文学の小説を翻訳し、何の因果かまた生まれ育った町に舞い戻り、そして、半世紀ぶりにプルーストの畢生の大作を手にして読んでいるのである。みずみずしい日本語訳と、分厚いペーパーバックの原書を読み比べながら。
気がつくと、日本語は読まずに、プルーストのフランス語だけを追っている。そして、あたかも耳から音楽が入ってくるかのように気持ちよく文字を追いかけている。そこに記された語彙のすべてを理解しているわけではなく、日本語に変換せずに読んでいるのである。
遠い昔に放り投げたブーメランが、半世紀ののちに一巡りして、後頭部を直撃しているといえばいいのか。
これはひとつの成熟なのか。
だとすれば成熟とはこんなにも苦いものなのか。
もっと早く気がつけばよかったとも思い、ずいぶんと若い、未熟な後悔を引きずったものだとも思う。むかし読んだ詩人の言葉がよみがえる。
時の締切まぎわでさえ
自分にであえるのはしあわせなやつだ
マドレーヌは、当地では「大平原」という名で親しまれている。
マドレーヌは、福音書に登場するマグダラのマリアに由来する。
マドレーヌ・ペルーは、フランス人の母とニューオーリンズ出身のアメリカ人の父のあいだに生まれた。両親が離婚して、母と娘はフランスに戻り、マドレーヌは母からウクレレを教わり、ギターをおぼえ、ストリートミュージシャンとして歩み出した。
彼女の歌を耳にしていなければ、プルーストを読み返すことはなかっただろう。
ジャズのような、ブルースのような、あるいはアメリカン・カントリーのようでもあり、古いシャンソンのようにも聞こえる、どこか懐かしい歌と歌声に出会っていなければ。