*79 兎追いし(esq.12)

じつは「兎追いし」というタイトルで、昨日一日、ああでもない、こうでもないと考えあぐね、書きあぐね、ついに活路が見いだせないまま、寝てしまった。このブログの更新は、原則的に土曜日にすることにしている。週日は翻訳や授業の準備に当てるというリズムを崩さないようにしている。そうしないと持続できないから。そして、日曜日はできるだけ仕事をしない。具体的には、コンピュータに電源を入れない。本を読むか音楽を聴くか、車を転がして写真を撮りに行くか。

ところが今朝は日曜日なのに、起きてからずっとぐずぐずとその原因を考えつづけている。反省は不毛だと思っている。自分のやっていることを見直し、反芻しているうちに、始めた動機さえも疑うようになり、いつしか弱気になって、最後には、やめた、やめた、と結論しかねない危険な代物である。だが、やめたら終わりである。そうやって翻訳を三十年やってきた。やめたら終わりだと言い聞かせて。この「小説」の試みも同じである。

以下、書けない原因を列挙してみる。密かに(?)、この連載をフォローしていただいている少数の——スタンダールみたいに「ハッピーな」という言葉は付け足しませんが——読者のみなさん、退屈でしょうが、ご海容ねがいます。

 

1.やたらに疲れている。

このところずっと、朝五時か六時には起きて活動をはじめていたのだが——歳をとると朝早く目が覚めるだけのこと——、今週木曜日の夜に大谷短期大学で生涯学習講座を務めてから、朝が眠くて眠くてしかたがない。金曜日の朝は習慣から、六時くらいから、なんとなく動きはじめたが、脳も身体もしゃきっとしない。昨日土曜の朝は目は覚めても起きることができず、気がつくと七時過ぎまで寝ていた。今朝も同じ、七時過ぎにようやく起き出して、髭を剃り、部屋の掃除をして、朝食を食べ、ソファに横になって、見るともなくテレビに目を向けていたら、そのまままた眠ってしまった。目が覚めたは九時半頃である。帯広に帰ってきた直後、「鬱病」の診断を下されて以来のことである。また、あの「メランコリー」? ではないとおもう。たぶん。

 

2.脳みそが思うように反応してくれない。

上記1.と関係することだが、脳の反応が鈍いのである。手を動かしていても、脳が乗ってこない。あるいは脳の動きが鈍いので、手は勝手に動き言葉を並べていくが、その言葉を見ている眼が、なんかちがうなぁ、おもしろくないなぁ、とぼやいている。文章を書いているとき、いちばん大事なのは、この脳と手と眼の一致なのだが——そこからリズムのようなものが生まれ、思いがけない言葉や言い回しが生まれて、それが喜びにつながり、喜びは書くエネルギー源となる——、いつまでたっても、それがちぐはぐなのである。

 

3.妄想を持続させるためにはエネルギーがいる。

近代という時代に入って以来——近代はいつから始まったのかという問いは、とりあえず棚上げにしておこう——「小説とはなんぞや」という自問自答を小説家も批評家も繰り返してきた。さすがに最近はあまり見かけなくなったけれども——たぶん、「近代」という時代が終わってしまったせいだろう。難しい議論はさておき、小説は所詮、妄想である、というのが個人的考えである。その作品が「私小説」を自称しようと、「歴史小説」であると言い張ろうと、すべては妄想である。夢と言い換えてもいいし、幻想と言い換えてもいい。想像力という言葉は美化に美化を重ねて、ついには厚化粧の老婆みたいになってしまったが、所詮は妄想であると考えるとかなりの部分がすっきりする。この妄想はかんたんに掻き消せるものではないというところが曲者であり、かつ恐ろしいところであって、たぶん人間の本質のもっとも奥深い部分を形づくっている。この妄想は、人間の果てしない欲望に直結している。そんなものは存在しないとわかっていても、人間は造り出すのである。しかし、造り出すためには原料=資源とそれを加工するエネルギー源が必要になる。その資源が、もしかすると枯渇するかもしれない。地球を思うがままに搾取(=開発)してきた人類が初めて、ひょっとしてこれヤバイんじゃないのと思いはじめた。地下資源の限界、地球温暖化、環境汚染、生態系の危機、人口爆発……いくらでも列挙できる。小説はけっして平和なものではない。人が生存するためのエネルギーを食らい尽くすものである。読むにせよ、書くにせよ。文学の時代は終わったなどと、上から目線の素知らぬ顔の評論家には言ってやりたい。近代の終焉は人類の終焉であるかもしれないと、一度は考えてみるべきではないか。あなたの身の上だって危ないのだ。わかったわかった、大言壮語はわかったけれど、おまえの「小説」はそれとどう関係するんだい? という声が脳のなかで響く。そんな危ない妄想はやめたらいいんじゃないの? 正論である。かつてディープな鬱病に陥ったある作家——たしか吉行淳之介——が、鬱が疎ましいのは、鬱のなかで考えることは正しいからだ、と喝破していたことを思い出す。鬱が生のエネルギー状態の低下、沈滞であるのは論を俟たない。さあ、どうする?

 

4.できれば動物を主人公にした「小説」にしたい。

主人公——と言っていいのかどうかわからないけど——の名に猫の一字を含めただけでなく、その人の通称であるところの「猫さん」を小説中の呼称として採用し、なおかつ、この猫さんはネコという名の猫を飼っているというふうに設定したとき——というか、勝手にそんなふうに「手」が動き出してしまったのだけれど——、この小説の試みには決定的な方向性と枠組みが与えられてしまったのだろう。早い話が半分は自分の経験に基づくことなのだが、残りの半分は、この「手」の創作である。脳の妄想よりは、この「手」の暴走に委ねたい気分である。なぜならば脳の妄想には際限がないが、手の動きは経験に裏打ちされていて、おのずとブレーキが掛かり、自惚れとは一線を画した個性があるから。「猫の記憶」と題した *72は、書き手の経験を素材にしたものだが、書き出して一気に書き抜いたのは、この「手」である。書こうと思いついたのも、この「手」だと言っていい。脳が思いついたものはあまりいい結果にならない。*75の「モズ」もその延長線上に自然に出てきたものだし、今回の「兎」もやはり同じ延長線上にある。すらすらと流れていくはずだった。

 

5.作家たちはなぜあんなにも猫が好きなのか?

猫の好きな作家の名を挙げていくと切りがない。だから、よほど気をつけて書かないと、誰かの二番煎じになってしまう。だから——別に苦肉の策としてではなく——、われらが主人公(?)の猫さんは名前とは裏腹に、じつは犬が好きなのである(*71参照)。そして、ここが肝心なところであるけれど、けっして動物好きではなく、むしろ怖れを抱いているのである。愛玩動物であれ野生の動物であれ、単純に怖れを抱いている。もちろん、この怖れは畏れに通じるものであり、この畏怖こそが宗教の源泉であるばかりでなく、美の源泉でもあるはずだ。その源泉がいま涸れようとしている。漱石の『猫』はつまらない。どこまで行っても、どこまで読んでも、擬人化の域を出ないからだ。金太郎飴みたいに、どこを切っても同じ顔が出てくるだけ。日本の近代文学のなかでもっとも有名な作品の一つではあるけれど、全篇読み通した人は——研究者を除いて——ほとんどいないはずだ。そもそも、のっけからアンドレア・デル・サルトなんて、どこの馬の骨かわからないような画家——漱石によれば「伊太利の大家」ということになっているが、どこかの美術館が回顧展を催すほどの画家ではない——の名前を出してくるところが、悪趣味だ。でも、漱石が野性に対する畏怖とは無縁だったかといえば、そうではない。彼はこんな一文を残している。「木島櫻谷氏は去年澤山の鹿を並べて二等賞を取った人である。あの鹿は色といひ眼付といひ、今思ひ出しても気持の悪くなる鹿である。今年の「寒月」も不愉快な点に於てはあの鹿に劣るまいと思ふ」(「文展と芸術」東京朝日新聞、大正元年/1912)これほど嫌みな美術評もそうあるものではない。木島櫻谷氏は名誉毀損で訴えてもよかったのではないか。ま、いつの時代もヒョーロンカというのはこんな文章を書く人種ということかもしれない。でも、漱石を援護するわけではないが、この人は見るべきものは見ていると感じられる。木島櫻谷氏は花鳥風月のなかの鹿や狐を描きたかったのではないだろう。正しく「野性」を表現したかった。それを漱石は「気持ちの悪くなる」とか「不愉快」だとか言っている。そして、この評を「兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と結んだ。彼は、西洋美術のリアリズムの影響を受けた日本画家の野心を「不愉快」と言っているのである。僕はできることなら、木島櫻谷の夜の狐のような眼をした野生の兎の姿を描いてみたい。

 

6.こんなにも疲れてしまった理由。

ここまで書いてきて、わかった! こんなにも疲れてしまったのは、死にかけた猫のケアにエネルギーを吸い取られたからだ。食欲がなくなって、すっかり痩せ細ってしまったわが家のシマを動物病院に連れていったのが六月六日、その日血液検査をしてもらって、肝臓機能の値も腎臓機能の値も非常に悪く、おおもとの原因は甲状腺ホルモンの過剰分泌だろうと診断された。排便もしなくなり、ぐったりと寝たきりになってしまったので、排便処置と点滴をしてもらいに行ったのが十二日——放っておいたら死んでましたよと、あとで医師に言われた——、ホルモン分泌の分析結果に基づいて、甲状腺の薬を処方してもらったのが二十一日、その間、胃薬やら肝臓の薬やらを含めて、朝と夕方に二回、二つ乃至は四つに分割した錠剤をスプーンの背で粉々にして投薬用のチュールに混ぜ、食欲が戻ってくるまで根気よく食餌を与えつづけたのだ。その努力の甲斐があって、六月十二日の時点で2.4㎏にまで激減した体重が、一昨日(六月二十八日)は2.9㎏まで回復した。食欲がないので睡眠も浅く——猫の話である——、不安がって朝早くから起こしにくる。こちらは為す術もなく、朝四時くらいから食餌を与えることになるが、そのときに毎回薬をすり潰してチュールに混ぜ、ウェットとドライの食餌の配合を考え、猫の食べっぷりを横でじっと見ている。その都度、一喜一憂するのである。あと100㌘で3㎏に戻る。少し希望が見えてきた時点で、どっと疲れが出たのだろう。現実の猫と虚構(妄想)の猫の双方をケアするというのは、なかなか疲れるものである。それにしても、なんだかなぁ、正しいことやっているのだろうか……。