*86 泉さんの回想(esq.19)

*13

 

庸子さんの物語を猫さんが知ったのは、彼女が住む洗足のアパートで初めて二人が結ばれた日のことだった。

庸子さんは堰を切ったように朝まで語りつづけた。その間、猫さんは隣でうとうとしたり目覚めたりを繰り返しながら、話をずっと聞いていた。聞いていたというよりも、耳に入っていたというべきかもしれない。庸子さんの声は、メゾソプラノかアルトか、ちょうどそのあいだくらいの柔らかい声だった。それに加えて、少し滑舌の悪いところがあって——正確に言うと、ときどき興奮して声が高くなると、ファルセットのように声が裏返る——、言葉が乱れるたびに、猫さんは沈みかけた眠りから釣り上げられる。

彼女がしゃべり疲れて眠りに落ちたとき、彼もまた聞き疲れて眠りに落ちた。

白々とした光のなかで目が覚めたとき、彼女はすでにゆったりした生成りのブラウスにジーンズをはき、足を組んでインスタントコーヒーを飲んでいた。

——飲む?

猫さんは無言でうなずくと、服を着て、トイレに入り、顔を洗って出てくると、丸テーブルの上にはコーヒーが用意してあった。ソーサーの上には角砂糖とスプーンがが置いてあり、その隣に瓶の牛乳が立っていた。

庸子さんは語ることはもう何も残っていないと思ったか、もう何もしゃべるまいと心に決めたか、唇は一文字に結んだままだったが、化粧を落とした素顔は晴れやかだった。

猫さんのほうも満ち足りてはいたけれど、人の話を聞くだけ聞いて、自分のことは話さなくてもいいのかという思いが残っていた。でも、庸子さんが何も言わず、何も訊いてこないので、自分のほうからあえて打ち明けるという気分にはなれなかった。コーヒーに角砂糖を一つ落とし、牛乳の蓋——厚紙の押し蓋——を開け、コーヒーと牛乳を交互に飲んでいるうちに、また軽く勃起してきた。自然と腰が上がり、彼女の額に唇をつけた。

 

猫さんと庸子さんの夫婦は二十五年続いた。あるいは二十五年で途切れた。その間に夫は妻にどれだけのことを語り、妻は夫にどれだけのことを語ったか。自分の学生時代のことを、どのくらい語っただろうか。何も語らなかったわけではない、もちろん、二十五年も一緒に暮らしていたのだから。おまけに子供のいない夫婦であったから。よく話した夫婦だったのではないかと猫さんは思うのであるが、こればかりは他の夫婦と比較ができないので、なんとも言えない。

でも、自分の学生時代の、あの失恋、あの理不尽な別れと、その後の失意と絶望の一年については、築地の病院の看護師さんに話したこと以上のことは、結局何も話さなかったのではないかと思い、そのことがなぜか、猫さんの悔いになっているのである。

庸子はあれだけ自分の失恋、あるいは破綻した恋について語っておきながら、なぜ夫の過去を問い質すことをしなかったのか。気遣ったのか。知る必要を感じなかったのか。

それが今となっては——今さらのように——、猫さんの心残りになっているのである。

猫さんが彼女——もちろんこの彼女は庸子さんのことではないし、庸子さんの場合と同じように、相手の固有名詞もあえて特定しないけれど——と知り合ったのは、彼が大学に入った年の夏のことだった。

夏休みは金を貯めると決めていた。入学したばかりで勝手がわからず、前期はたいしたアルバイトもできず、なけなしの貯金——心配した親から渡された小遣い——はほとんど底をついていた。

求人案内をいろいろ調べた結果、昼はデパートのお中元の仕分けと発送、夜は同じデパートの屋上で夏場だけ営業するビアガーデンの求人に応募するという強攻策に打って出た。時給の単価もさることながら、肉体労働とはいえ銀座のデパートで働くというのも魅力のひとつだった。そのビアガーデンで二人は出会ったのである。ジョッキをテーブルに配り歩く仕事はまさに重労働だった。一リットル入りのジョッキを左右の手に三つずつ持って、ひっきりなしに場内を歩き回る。腕も脚もまさに棒になった。彼女は厨房で食器洗いを担当していた。昼は歯科衛生士の学校に通っているとあとで聞いた。

仕事は過酷だったが、爽快だった。本とノートと筆記用具から解放されることがこんなにも心躍ることなのかと思った。

デパートのビアガーデンは九時がラストオーダー、十時には店じまいとなる。ホール担当はテーブルの上を布巾できれいに二度拭きし、コンクリートの床にデッキブラシをかけ、モップで水分を吸い取って業務終了となる。厨房の食器洗いもそのころ同時に終わる。

アルバイト学生がいっせいに乗り込む帰りの業務用エレベーターのなかで、たまたま二人の視線が合った。その日は勤めて初めての金曜日だった。土曜日の夜のビアガーデンは休業で——週休二日制にはなっていなかったけれど、土曜日は午前だけ、当時はまだ「半ドン」という言葉が残っていた——、アルバイト料は日給だが、週末の金曜日に支払われることになっていた。

夜の銀座は、ここは日本かと思うほどネオンが美しく、街路は整然として、夜風に揺れる並木は涼しげだった。当時は新宿も渋谷も池袋もまだ雑然として騒がしく、戦後のまま時間の止まっている場所がいたるところに残っていた。銀座だけ、時代を超越しているかのようにとり澄ましている。

デパートの裏口から銀座の裏通りに出たとき、解放感のあまり、猫さんは思わず大きな声を出した。深呼吸したつもりだった。そのとき背後で、クッと笑う声がした。よほどタイミングがよかったのだろう、自分のほうから女性に声をかけたことなど一度もない猫さんが「ぼくらもビール飲みに行きませんか」と誘ったのである。

二人は表通りに出て、ビール会社の経営するビアホールに入った。二人とも給料をもらったばかりで、自然に笑みがこぼれた。彼女は小柄で丸顔で、髪は短かった。ほとんどすべてが庸子さんとは正反対だったと、今になってあらてめて猫さんは思い返すのである。

その夜から二人の付き合いは始まった。若かったし、疲れていたし、まだろくに飲み方も知らないビールが全身に回ってしまえば、もうとめどなかった。彼は初めて女の身体を知った。嘘だろうと思った。なぜか。夢精のときの、あのもどかしくも吸い込まれるような快感が、そっくりそのままそこにあったから。自分は蝶になった夢を見ているのか、蝶の夢にまぎれこんでしまったのか。

彼女は豹変した。陸の生物から海の生物へと姿を変えた。汗ばむ肌は潮の香りを含み、全身が溶けて、ペニスは標的を失った。やがて風は怒気を増して海面を逆立て、彼はたちまちなぎ倒されて、海に沈んだ。

彼には何が起こったのか理解できなかった。暴風雨に襲われたようでもあり、気の遠くなるような進化の時間を一瞬にして経験したようでもあり、そんな快感を最初に知ってしまったことは、けっして幸福な記憶とはならず、かえって苦い思い出となった。相手は天然の娼婦というべき女性だったかもしれないし、そうだとすれば、なぜそんな女が彼を選んだのかもわからないし、ただ濃密なだけのこの奇妙な性的関係が、なぜ一年も続いたのかもわからない。

次の年の夏がめぐってきて、いつものように仕事の帰りに——彼は家庭教師の口を見つけ、もう肉体労働はしていなかった——、彼女のアパートに寄ったとき、思いがけない言葉が彼女の口から出てきた。「できちゃったみたい。ちゃんと計算していたのにね」

頭の芯が痺れて、すぐには返事ができなかった。彼女は若いのに、毎朝自分の体温を記録し、避妊具も用意していた。「だいじょうぶ。あなたに迷惑かけないから」と言った。

目の前が真っ白になったか、真っ暗になったか、そのとき自分がどんなに情けない顔をしていたか、もちろん本人にわかるわけがないし、そもそも相手の言っていることの意味がわからなかった。迷惑をかけない?

迷惑ってなんだ?

結婚して、籍を入れて、ちゃんと産んで育てようと言った。

彼女は伏し目がちになり、さびしそうな、相手を見下したような、かすかな笑みを浮かべた。同い年のはずなのに、一回りも二回りも年上に見えた。「うん、ありがとう」と彼女は答えた。

帰り道、大学をやめなくてはならない、と猫さんは思い詰めた。去年の夏の、あの解放感を思い出していた。学者の家に育ち、厳格な父の影響圏から逃れようとして一人暮らしを始めたのだ。学校をやめ、一人の労働者として所帯を持ち、父親になり、子を育てることはまっとうな人生の道を歩むことではないかと、健気に考えた。

そう思うと、あの学内でラウドスピーカーでがなり立てている学生たちに対する憤りのような、敵愾心のようなものが、ふつふつと自分の内部に沸きあがってくるのを感じた。自分自身が学生であり、大学に所属しているのに、大学解体を叫ぶ。学費はいったい誰が払っているのか。大学を解体して、自分たちで新たな、自由な大学を創るなんてことが可能だと本当に信じているのか。あらゆる政治制度に対する、あのすべての抗議と主張を、きみたちは本当に信じているのか。

すべてはパラノイアの妄想ではないか。自分を何様だと思っているのか。

おれはそういうものをすべて捨てよう。たったひとりのふつうの人間になって、ふつうの生活者になって、誰にも知られず、何ひとつ主義主張を語ることなく、妻を愛し、子を愛し、黙々と働き、生きていこう。宮澤賢治のような言葉が浮かんでくると、顔が火照って、何も恐れることはないという声が聞こえてくる。

この期に及んで、猫さんは正しい人でありたかったのだ。

主義主張がなんであれ、人は正しいことをしようとして、正しい言葉でみずから納得しようとするとき、じつは何も見えなくなっている。女に溺れることと、主義主張、政治思想に溺れることは同じことなのだという考えは、若い人にはふさわしくない。同時代を生きる青年の表と裏に過ぎないということも、どちらが表で裏なのかも、その時代を生きている人間にはとうてい知り得ないということなど、わかるはずもない。

それにしても——と、還暦を過ぎた猫さんは思うのだ——なんと口惜しい青春か。

次の週の家庭教師の帰りに、彼女のアパートに立ち寄ると、鍵がかかっていた。いつもなら、その曜日のその時間帯には彼を待っているはずだった。それが一年間続いた習慣だった。

食料でも買いに出たのかもしれないと思い、部屋の前の吹きさらしの通路でしばらく待った。隣の住人が出てきた。顔見知りになっていたので、向こうから声をかけてきた。たぶん、今夜は帰ってこないのではないか、昨日、救急車が来て運ばれていったから、と言う。

病気なのか、怪我をしたのか、事故か、事件か、どこの病院に運ばれたのかと畳みかけてみても、そのとき部屋にいなかったからわからないという答えしか返ってこない。彼女が帰ってくるのを待つしかなかった。当時は、若くて部屋に電話を備えている人は少数だった。携帯電話など夢のまた夢、いや夢を見る人さえいなかった。彼女のほうから彼の部屋にやってくることはなかった。

毎日のように彼女の部屋を訪れても、鍵はかかったままだった。

一ヵ月がたったある日、訪れてみると部屋のドアが開いていた。覗いてみると、部屋は空になっていて、大家がいた。どこに行ったのかと尋ねてみると、越した先は聞いてないけど、実家にでも帰ったんじゃないの。若くして流産したんじゃ、辛いだろうし、養生もしなくちゃならないだろうし、という。

流産? 妊娠を告げられたときよりもなお深い穴に突き落とされたような気がした。しかも、なんの相談もなく姿を消した。何もかもわからなくなった。

子供というものは、母親のものなのか。胎のなかの児はひとりで身ごもったものなのか。おれはいったい何者なのか。彼女にとって、自分はなんだったのか。彼女はなぜおれを選んだのか。何が目的だったのか。

明晰に考えられることなど何ひとつなかった。

ただ自分は取り残され、どこかに流れていった胎児のように捨てられたという感情だけが潰瘍のように腹部を蝕んだ。

まるで夢のようだという思いは、すべて嘘だったのかという思いに変わった。彼女が歯科衛生士の学校に通っているということも、郷里は四国の松山で、家は観光客相手のお土産屋で、兄が一人いるという話も、すべて彼女の作り話のように思えた。

かりに作り話ではないにしても、意味を失う。彼女とはもう接点がないのだから。

おれは他人の記憶のごみ箱ではない。

おれは同じことを繰り返している。

生まれ育った土地を捨て——いや、捨てさせられたのだ——、東京に出てきたときも、ただ呆然として、新たな環境に馴染むことができなかった。教室のなかで一人取り残された感じ。世界から見捨てられている感じ。

なぜこんなことが繰り返されるのか。

このおれの、いったい何が問題なのか。

こうして猫さんは大学を休学した。朝夕は新聞配達をして、家庭教師の仕事は続けた。残った時間はひたすら本を読んだ。

結局その一年間で得たものは、ただ、時間はたしかに慰謝を与えてくれるという手応えだけだったが、そのおかげで猫さんは、あの荒れ果てた大学に戻るしかないと腹をくくることができたのだった。

遠い記憶のなかで彼女の顔も声もかすんでしまっている。あれほど激しかった快楽の記憶も、もう何万年も前の化石のようでしかない。しかし、かすかな記憶のなかで、ひょっとして彼女は本当にこの自分を愛していたのかもしれないと思うとき、人が過去を美化するのではなく、過去のほうで人間に余計な思いをさせないようにしてくれているのだという作家の言葉を、猫さんはあらためて噛みしめるのである。上手に思い出せる人は幸せだ。