*87 美術展(esq.20)

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泉さんは庸子さんを美術展に誘った。もう、三十年前のことだ。

——今度の日曜に砧公園に行かないか。

——公園って、散歩?

——うん、それもあるけど、公園の隅に新しくできた美術館でワイエス展やってるんだよ。

——あら、そうだっけ。美術担当としては迂闊だったわね。ワイエス、好きなの?

——好きというより、ちょっと気になることがあって。名前を知っているだけで、絵は一枚も見たことがない。

——「クリスティーナの世界」も?

——うん。

——わたしは、あの絵、どうも好きになれないのよ。まるで演劇の舞台の一場面みたいで。

——どんな絵なの。

——女の人が枯れた草の上を這い上がっていくの。

——え……。

——ね、え、でしょ。画布の上のほうに地平線があって、いかにも開拓時代のアメリカで建てられたって感じのがっしりした木造の家が二、三軒があって、どうやらその女の人はその家に向かって這っていこうとしているようなの。

——どんな感じの女の人? 若いの、年取ってるの?

——背中から描かれているから顔はわからないけど、若いわね。髪が長くて、ワンピースを着ている。色は覚えてないけど、白っぽくて少し薄汚れている感じ……。

庸子さんは、そう言って、左手で右肘をつかんだ。

——たしか、下半身が麻痺してる人をモデルにしたってことはその絵の解説に書いてあったと思うけど。

——やめておくかい。

——いや、そうは言ってない。実物を見てみないとね。あんがい好きになるかも。よけいに嫌いになるってこともあるけど。

庸子さんは目を少し伏せて笑った。

——でも、あなたのほうから、美術展に誘うなんて、むしろそっちのほうが気になるけど。ワイエスの展覧会のことはどこで知ったの?

——昨日、駅ビルの本屋で雑誌を立ち読みしてたら、「三代続くアメリカの現代画家」というタイトルの美術展紹介記事が目に入ったんだ。画家って二代続くのも珍しいのに、三代って、どういう親子関係だったんだろうと思ってね。とくに現代絵画の世界は破天荒な伝説が多いだろ。アル中だとか、精神病だとか、親子の葛藤とか軋轢とかさ。代々受け継がれていく職人技術ならともかく、芸術なんだから、親子が真っ向からぶつかっても不思議ではない。その辺がどう受け継がれていったのか。

——ふーん、おもしろいじゃない。行こう、行こう。

 

絵から圧倒的な衝撃を受けたのは、誘った猫さんよりも、むしろ庸子さんのほうだった。

〈アメリカン・ヴィジョン〉と銘打たれたその企画展は、まずは、初代のN・C・ワイエスから二代目のアンドリュー、そして三代目のジェイムズへと仕事と画風がどのように変遷していったかを写真と作品とテキストのパネルで説明するイントロダクションの部分、それからN・Cの作品を展示するコーナー、アンドリューのコーナー、そして一番若く同時代的なジェームズのコーナーで締めくくられる、かなり大がかりな構成になっていた。

庸子さんの軽快な足取りは徐々に重くなり、アンドリューのコーナーに入ったときには貧血に見えるほど顔色が青ざめ、作品の前でいちいち立ち尽くす時間が増えていった。

声をかけられる雰囲気ではなかったので、猫さんは同じ展示を三回見て、ミュージーアム・ショップで図録を買うと、庸子さんが出てくるのが目に入る位置にある腰かけに座り、買ったばかりの図録のページを繰った。

どれくらい時間が経過したのか、肩を軽く叩かれて、われに返った。

——待たせちゃってごめん。

——いや、時間を忘れてた。

——図録買ったのね。

——うん。すごい。図録見て、再確認した。

庸子さんは、どこか遠くを見ているようにぼんやりとしていた。

——レストランで何か食べようか。

——何か食べるって気分じゃないかも。公園散歩しない?

広い芝生を取り囲む大きな桜の木のほとんどが花びらを散らし、柔らかい緑の若葉が光を集めていた。花見の時期が終わったばかりで、おそれるほどの人出ではなかったものの、晴れ上がった春の空に誘われて、たくさんの家族連れが公園内を賑わしていた。

歩きはじめて、しばらくしてから庸子さんが口を開いた。

——ねぇ、会社辞めていい?

あまりに唐突だったので、猫さんは自分の左側を歩いている庸子さんの横顔に視線を向けることしかできなかった。二人は結婚したのちも、それまでと同じように教科書会社に勤めつづけた。おしどり夫婦と冷やかされることもあったが、気にはならなかった。

——また絵が描きたくなっちゃった。こんなの初めて。

たしかに、二人はこれまでいくつもの美術展に足を運んだけれど、庸子さんがこんなことを言い出すのは初めてのことだった。

——わたしね、色のついた絵を見て、こんなに感動したの初めてなの。本物のテンペラ画を見るのもじつは初めてなの。テンペラ画ってこんなにすごいものなのね。たぶんアンドリューが研究に研究を重ねた結果の色遣いなんでしょうけど。

また、庸子さんの独演がはじまった。ふだんは無口なのに、一年に一度か二度、たまっていたものを吐き出すように、えんえんとしゃべり出すのだ。

色が向こうから迫ってくるのではなく、自分が色のなかに吸い込まれていくような気がしたというのだ。色のなかにたしかな空気感があって、それに包まれる。まるでこの公園にいて、緑の芝生があって、桜が大きく枝を張り、鳥が鳴き、虫が飛んでいる、そんな感じ。正確に風景を模写したというのじゃなく、風景を画布のなかに取り込んで、そこを空気が自在に行き来している感じ。ヨーロッパの写実主義にも日本画にもない、リアルな感じ。画家が何かを表現しているのではなく、人も動物も生物も風景も、そこにそっと佇んでいる。

庸子さんのいつ終わるともしれない独り言を耳にしながら、猫さんも、作品の印象を反芻していた。いや、反芻ではなく、忘れていた記憶が揺り戻ってくる感じがあった。三代にわたるワイエス家の画家たちが描き出す風景、風物は、彼が育った北海道の空、風、雪、川そのものだった。N・Cの描くインディアン——ネイティブ・アメリカンというのが正しい呼称かもしれないが、それではイメージと肉体が伴わないので——は、猫さんが小学生だった当時、どのクラスにも一人や二人いたアイヌの少年少女を思い出させた。しかし、N・Cの作品にある生命の率直な躍動感のようなものが息子のアンドリューの代になると、なぜか息を潜めて、どの作品にも沈降する死というのか、質量感とでもいえばいいのか、そういうものが画面の奥へ奥へと引きこもっていくように見えるのは、どうしたことなのだろう。舟や納屋や牛舎の内部に湛えられた静けさ、無時間の感覚はただ事ではない。

庸子さんも同じことを考えていた。アンドリューの裸婦は——背景こそ窓の開いた室内であったり、奥深い森のように見えるものであったりするが——、きわめてがっしりとした骨盤を持つ肉厚の女性たちばかりだ。テンペラ画に描かれた彼女たちの肉体は、中学生のときに美術室で初めて出会った石膏像の手触りそのもの、あのミロのビーナスの堂々たる腰回りを思い出させる。

——わたし、また絵を描く。アンドリューの水彩を見て、絵が呼んでる、色が呼んでるって思ったの。

公園内の散歩はえんえんと続いた。公園の縁は起伏のある林になっていて、その向こう側には住宅街を抜ける道路が走っていた。公園の南側の空を高速道路がかすめていた。

二人はもう子供をつくることは断念していた。築地の病院では、人工授精とか、最新の生殖補助医療も紹介してくれた。しかし、すべて手を尽くして、目的がかなえられなかったらどうするのか。今よりもずっと絶望するように思えた。むしろ、子を断念することで開ける人生もあるのではないか。温厚で包容力のある婦人科の看護師さんは、「それは賢明な選択だと思います。わたしもそのような人生を選びましたから」と言った。

庸子さんは出版社を辞めて、来る日も来る日も鉛筆のデッサンに取り組んだ。そして、ある日、そのデッサンに水で溶いた薄い色をのせた。満足できるものに仕上がると、額に入れて寝室に飾った。

川辺に咲いていたマーガレットの一輪とか、気に入って買ってきたグラスやお茶碗とか、読みかけの本とか。窓のレースを通して入ってくる陽射しとか、風をはらんだカーテンとか、日常のあらゆるものが、画用紙のなかに取り込まれた。

猫さんは趣味にしておくのはもったいないと思い、会社に持っていくと、本の挿絵や装幀に採用されるようになった。その評判が口コミで広がり、ほかの出版社からも声がかかるようになった。

こうして庸子さんは少しずつ忙しくなっていった。

自分の胸にしこりがあるのに気づいたのは、ワイエス展から数えて五年後のことだった。